2022年3月 ホテルインディゴ犬山有楽苑宿泊記 犬山城ビュープレミアム

  • 2022年3月27日
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東京発の東海道新幹線の列車は滑るように名古屋駅に辿り着きました。事前に席を予約していたとはいえ、いつになく重たい荷物を抱えて、慣れないせいかやたら広大に思える駅の構内を小走りで、乗り継ぎの名鉄名古屋駅に向かいました。いつか泊まった名古屋マリオットアソシアの入り口を傍にみながら、客待ちのタクシーでごった返している名鉄百貨店横の階段を駆け下ります。大手私鉄の代表的なターミナル駅としては驚くほどコンパクトな3面2線のユニークなホームにひっきりなしに入線してくる見慣れない行き先の赤い電車…どうやら私の乗る特急の時間にはまだ余裕があるようだ。ほっとしながら、自動販売機でミネラルウォーターを買って、慌てて歩いてきて、少し息が上がっている自分に少し照れくさい気持ちになりました。

今日はパートナーと一緒ではない。もしふたりだったら、もっと時間に余裕を持った行程を組むことでしょう。ふたりで並んで歩いていると、普段の3分の2ほどのスピードになることは分かりきっていることだし、もし電車に乗り遅れたら…といらない心配をすることもない。対して、ひとりで乗り継ぎをするときは、なんだかんだで、自己責任の気楽さからタイトな日程を組んでしまうのです。そういうとき私は少し自分のことをせっかちだと思います。

パァーんという警笛がトンネルに響いてきて、特急列車が入線。岩倉、江南、柏森…日本各地を旅した気がしながらも、まだ見知らぬ駅がたくさんある。それはとても豊かなことだと思う。そんなことを考えながら犬山に到着。ここは生まれて初めて訪ねてきた街。まずはここで所用を済ませます。道を行く風にも春の訪れを感じながら、再び名鉄に乗って、隣の犬山遊園駅まで…前置きが長くなりましたが、本日は開業したばかりのホテルインディゴ犬山有楽苑に滞在します。

木曽川にかかる大きな橋はもともと道路と鉄道の併用橋。大きな列車が車と同じ地平で一緒に川を渡る様子を眺めること…そんなもはや叶わない過去への憧憬を持ちながら、川のほとりの整備された道をホテルに向かって歩いていきます。想像していた以上に幅広い川の景色の美しさ。やはりその目でみて確かめないと分からないスケール感というものがあります。

ホテルまでは10分とかかりませんでした。荷物が重くなければもう少し早く着けたかもしれません。きれいに整えられた竹林の向こうにオレンジがアクセントになったホテルの建物が見えます。ここがインディゴ犬山有楽苑。訪ねたことのない街に新しく開業するホテルの話題というのは、いつも心がときめくものですが、多分に漏れず、ここもずっと期待をもって開業を待っていたホテルでした。

ホテルに入るとまず飛び込んできたのが大きなガラス窓とその向こうに見える古城・犬山城の勇姿。水盤の向こうの庭園の木々の若々しさと、奥の小高い丘の古木との対比。古くからこの地を見守ってきた現存天守と、このホテルのもつポップな雰囲気のコントラストがうまく同居している。そんな第一印象をこのホテルに足を踏み入れた瞬間に思いました。もう一方には国宝の茶室・如庵があり、じつに豊かなロケーション。この場所がもつ魅力は無視できないほどに大きなものだと思います。

思わず風景の素晴らしさに目が行ってしまいましたが、ホテルのインテリアもかなりユニークなものです。同じ「インディゴ」の箱根強羅でも感じたことなのですが、どこか懐かしさを感じられる日本の民芸調を取り入れながら、現代らしいポップな雰囲気をうまく演出しています。丸い窓から見える竹林を眺め、ウェルカムドリンクの菫色のモクテルを飲みながらチェックイン。新人らしいスタッフはまだ慣れないながらも丁寧に今日の部屋を案内してくれました。

部屋の扉を開けるとぱっと明るい光が飛び込んできます。北と西の両面に大きな窓があり、その奥にバルコニーがある。この景色には唸ります。木曽川の流れと犬山城の佇まい。その両方をこんなに綺麗に眺められるのはじつに贅沢。しかしさらにいえば、私は対岸の鵜沼の街並みや山の稜線の美しさもまたこの部屋から見える眺望の素晴らしさの要素として是非とも挙げたい点です。ランドマークがあり、そこに生きる暮らしの景色がある。おそらく私は雄大な大自然の中に佇むホテルよりも、そこに少しでも人の暮らしが見えるホテルの方が好きなのだと思います。

ベッドサイドから横を眺めやれば堂々とした古城。民芸調のインテリアコードは客室にも完徹され、洗練されたライフスタイルホテルでありながら、どことなく素朴な印象も与えます。少し間違えると垢抜けない雰囲気になってしまいそうですが、うまくバランスが取れています。その土地らしい空気感をうまく取り入れているのは最近の国内のIHG系のホテルに足を運ぶながらいつも感じていることです。それは横浜のインターコンチネンタルPier8だったり、キンプトン新宿東京だったり…思い浮かべると、なんだか泊まりたくなってくるホテルが数多くあります。

ウェットエリアには歯車のような意匠が取り入れられています。木製の歯車というところに、昔ながらの機械仕掛けを連想させられ、その趣意は犬山城や如庵に飛んでいきます。でも、そんなことを考えずとも直感的になんとなくかわいらしい。それで良いような気もします。この部屋にはバスタブはなく、レインシャワーとハンドシャワーを備えたシャワーブースのみ。アメニティは箱根と同じ「Biology」のものが用意されていました。お湯に浸かりたくなれば、温泉大浴場があります。もちろん私も温泉に浸かりにいきました。

いよいよ太陽は地平線の向こうへと沈んでいきます。その美しさと空気感を直接に感じたくて、思わずバルコニーに出ました。木曽川の流れは空と同じ橙色に染まり、黒い犬山城の輪郭がよりくっきりとした像を結びます。水鳥が川の向こうの方に飛んでいく。おそらくこの景色は500年昔も同じように見えたことでしょう。古き時代へのノスタルジーに涙腺が緩むことは避けられません。古い建物と夕暮れの組み合わせはなぜ人の心をこれほどまでに震わせるのでしょうか。

ドヴォルザークの交響曲第9番の第2楽章はあまりにも良く知られた郷愁の旋律であり、訳知りの、あるいはある種の人たちからは手垢のついた譜面のように思われることも少なからずあるのですが、このとき、私の耳には確かにその孤独であたたかいメロディが豊かに響いていたのです。ラドミル・エリシュカがこの世を去る前の音楽会に幸運にも訪れることができた時の、真面目で素朴で、それでいて、情感豊かなあの演奏の記憶とともに。

夕食はホームキッチン「車山照」(ヤマテラス)にて。なにかライフスタイルホテルらしいメニューをお願いしたいと思って注文したのが、シェフヴァンソンの刺身ボウル。エディブルフラワーやアボカドやハーブと共にサーモンとまぐろが入った「いかにも」なもの。見た目も個性的で美味しいのですが、正直いうと、少し味が薄くてごはんが残ってしまったのです。

ごはんが残るのはもったいない。そこで急遽追加したのが隣接するバー「夜車山」(よやま)で提供している飛騨牛とフレッシュチーズの串焼き。照り焼きソースのこってりした味わいともっちりとろけるチーズのコクが少し香ばしい炭焼きの飛騨牛と合わさり、満ち足りた味わい。これと一緒に残ったボウルに残っているごはんを食べたら最高に合ってしまったのでした。モクテルも頼んでしまおう。そして柑橘系のスパークリングを用意してもらって、ひとりグルメを堪能していました。

温泉大浴場は空いていました。ひとりで露天風呂で夜風に吹かれていると、犬山の地に近づく春の気配が運ばれていました。しばらくゆっくりして、冷えたミネラルウォーターを喉に流し込み、部屋に戻るとライトアップされた犬山城が見えました。ひとり歴史に思いを馳せる穏やかな時間。どんな会話があの中で交わされていたのだろう。まさかこんな近くにホテルインディゴというものができて、こうして温泉でゆったり眺めている人間がいるなんて当時の武将たちは想像すらしなかったでしょう。

ベッドサイドにはもうひとつの犬山城が。鮮やかな青が印象的な提灯のようなペンダントライトも印象的な夜の客室。明るい雰囲気の部屋にふわりとしたベッド。こうして夜は更けて、絶えず流れていく木曽川の流れと静かに佇む古城に抱かれるような感覚を覚えながら寝ることにしました。

セミブッフェ形式の朝食ですが、今日は和朝食を選択しました。もともと洋朝食が多いのですが、最近ときどき和朝食を食べたくなるのです。特にホテルインディゴ犬山有楽苑のには、金目鯛の干物をはじめ、周辺で採れた野菜をふんだんに使った魅力的な内容に思えました。この場所からも変わらない朝の犬山城が見えました。もう少し時間に余裕があれば、犬山城や有楽苑の中などを歩いてみてもよかったのでしょうが、この朝食を取ったらそろそろ帰らなければなりません。

チェックアウト。そういえばチェックインのときにしても、今日にしても、このホテルに来るゲストの年齢層が私の想定よりも高い気がしました。こちらの地域の言葉で話し合う年配の人たちのこのホテルを褒める会話が聞こえてきました。東京ではなかなか聞くことのないイントネーションと言葉はやはり魅力的です。しかしそれにしてもなぜこんなに年配の人たちが多いのか。

いまホテルインディゴになっているこの場所は、かつて多くの人に愛されたホテルがありました。名鉄犬山ホテル。その閉館を惜しむ声をしばらく前にニュースで見たことを思い出しました。これは私の推測ではありますが、おそらく、かつての名古屋の奥座敷であったそのホテルの記憶を、この新しいホテルに重ねながら愛でているのかもしれません。犬山城と有楽苑と木曽川に抱かれたこの場所にあるホテルは、当時と姿こそ違えど、この場所に存在する文脈を踏まえていることは間違いありません。半世紀に渡って愛されてきたホテルへの記憶を胸にしながら、これからその物語を深めていくこのホテルを見守る人たち。そういう過渡的な時期にこの場所に足を運べた私は幸運と言えるでしょう。

ソファには思い出話に花を咲かせた白髪の綺麗な人たち。入口の方に目をやると、若いカップルがホテルに至る竹林を手を繋ぎながら楽しそうに歩いているのが見えました。私はまた重たい荷物を抱えながら、木曽川のほとりを駅まで歩きます。往路よりものんびりとした足取りで。

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