2024年セントレジスニューヨーク宿泊記

人類初の大西洋横断飛行を完遂したチャールズ・リンドバーグがニューヨークを飛び立ったのは1927年のこと。それから100年までわずかに満たない2024年に私はこの世界の首都といえる大都会にシカゴからのフライトを終えて降り立ちました。すっかり大衆化された飛行機。米国を代表するキャリアの運用するブラジル製のエンブラエル機のファーストクラスで、CAからたくさんすすめてもらったスナック菓子を頬張りながら。JFK空港は快晴。遠くにマンハッタンの摩天楼が見える。

そんな伝説的なリンドバーグのフライトからさらに20年以上も昔。具体的にはいまから120年前の1904年にこの地に誕生した高層ホテルが今日の滞在先。そう、人類が飛行機に夢を託し、その大きな前進に先立ってこの地にはすでに今まで伝わる高層ホテルが存在していたのです。

セントレジスニューヨーク。美しいボサール様式。かつてニューヨークで最も高い建物であるとともに開業と当時から全米最高峰のホテルと評されたラグジュアリーホテル。物理的な高さでは時代の流れのなかで他のビルにどんどん追い越されてきたけれど、その格調高さとホテルとしての質の高さにおいては私はいまもって「最高峰」と評していいのではないかとさえ思っています。最初に大西洋の横断の話をしましたが、このホテルの創業者であるジョン・ジェイコブ・アスター4世は貿易と不動産投資で財をなした米国の大富豪の一族。アスター4世はかの有名な大西洋横断航海中のタイタニック号の沈没事故で命を失いますが、その名声はいまもなお残っており、またここマンハッタンにいまも燦然と輝く宝石のようなホテルを手がけたことでも知られています。そのひとつがウォルドルフ=アストリア。そしてもうひとつがここセントレジス。さらにもうひとつ伝説的なニッカーボッカーホテルのことについても触れておきたいけれども、だんだん本題から外れてしまうので、それはいずれまた。

ウォルドルフの方がグランドホテルらしい堂々たる威容なのに対して、こちらセントレジスは比較的それぞれのセクションがコンパクトになっていて、それが現代のスモールラグジュアリーに結びつくような趣を感じさせられます。現代とのつながりということであれば、冷暖房完備や電話の設置といった当時としては最新の設備を備えており、さらにはバトラーサービスなど今の時代のラグジュアリーホテルのあり方を生み出した、まさに現代ホテルの「本家」のような存在と言えましょう。

さて前置きが長くなりました。

マンハッタンへと抜ける高速道路のひどい渋滞を抜けて、ようやく私の車はミッドタウンの5番街と55丁目の角に。見覚えのある美しいクラシカルなデザインの車寄せの上にはためく星条旗。米国を代表するホテルとしての威信を感じさせます。車を降りると即座にベルスタッフが荷物を受け取りにきました。なにしろ100年を超えるホテル。そのなかでも最新の快適性を追求すべく改装が繰り返されてきたわけですが、じつは今回の滞在もメインロビーやメインダイニングのアスター・コート、またブラッディーマリーの誕生の場所として知られるキング・コール・バーなどは残念ながら休業中でした。チェックインも通常とは異なる場所で行います。上品な語彙と独特のアクセントの英語で流れるように改装に対するお詫びと部屋の案内とバトラーの紹介を受けました。

今日の客室は「アスタースイート」をご用意致しました。こちらが鍵でございます。

前日までシカゴのモダンなパークハイアットに滞在していたこともあって、この雰囲気の違いにしばらく慣れない心地がしたのですが、だんだんと馴染んできました。日本でも大阪で親しみのあるあの少し甘い上品な香り…全体的にゆとりのある作りなのに空間の区切りがコンパクトである雰囲気…その都市の一等地といえる立地条件…そんな共通項に妙に安心してしまう自分がいました。ああ、ここでも、自分のなかにあるドメスティックな性格が顔を出してきますね。

重厚感のある古めかしいエレベーターに乗って客室へ。ひとつひとつがとても立派なつくり。100年を超えてもなお通用するその高級感。その感覚は日本のクラシックホテルにも共通していて、個人的には横浜のホテルニューグランドのロビーに似たものを感じさせられました。マッカーサーがニューグランドを愛した話はよく知られていますが、どうもセントレジスの雰囲気との共通点を考えてみると、不思議と納得させられてしまいます。どちらが優れているというある種不毛な比較はしたくありません。どちらにも独特な存在感や長い時を経て獲得してきたアイデンティティがあり、そのなかには、そういう文脈を離れてもなお響き合う共通点があるのかもしれません。

滞在したアスタースイートは十分快適な広さがありますが、数値上の広さ以上に広く感じるのは天井の高さゆえでしょうか、それとも全体的な空間の優雅さゆえでしょうか。いずれにしても、私がこれまでに滞在してきたホテルのなかでも屈指の美しい客室でした。さらに特筆すべきはそれぞれの設備の快適性です。デスクの大きさもバトラーの呼び出しの方法も、そしてシャワーの水圧に至るまで本当に心地よくて、それぞれを利用しているときに建物の年代をすっかり忘れてしまうほどです。いや最近のホテルであってもこうしたひとつひとつの水準を十分に達しているとはいえないホテルも少なくないことを考えると、さすがはセントレジス。その「最高峰」としての矜持を感じます。

客室にはすでにバトラーが待機していました。すぐにフレンチプレスコーヒーを淹れてくれて、ご用命があればいつでもお呼びください、と。

それにしても随分と高齢に見えると思っていたら、おもむろにポケットからポケベルを取り出して…

この機械はわたしと同じ老いぼれですが、相性が良くてですな、最近の携帯電話で高度でわかりづらくてもこれは見ればすぐにお客様からの呼び出しがわかりますから、あとは駆け足でかけつけるのですよ。なにしろもう77歳でして。。

お客様は映画はどのような種類の映画がお好きですか。お好みでしたらこのリモコンをこうぴっぴっと操作すれば好きな映画をみることもできますので、お気の召すときにぜひご覧くださいませ。わたしはベトナム戦争で従軍したので戦争映画はあまり好きではありませんね。やっぱり穏やかに笑っていられるコメディがいちばん好きですな…

夜には相棒がお客様のお世話に伺いますが…また明日の朝にもぜひコーヒーを淹れに伺いましょう。洗濯物やプレスや荷解きやその他、街の案内でもなんでもご用命があればいつでも気軽にお呼びくださいませ。

まさにひとつの生きたホテルの歴史と言える存在…このニューヨーク出身のバトラーは間違いなくホテルの宝だと私は思いました。押し付けがましくもなく、極めて丁寧であるけれど、とても人懐こい。なんだかお茶目なおじいちゃんとでも呼びたくなるような人柄。おそらく言語の違いとかを乗り越えて伝わってくるそのあたたかさ。安心感。信頼感。ホスピタリティを真剣に学びたい人がいれば是非ともこのホテルに1泊でもしてみれば良いと私は思います。

あ、そうそう、念のためん、もしお好きでしたらぜひフレンチトーストを食べてみてください。きっとお気に召すでしょう。では素晴らしい滞在を!

そう言ってバトラーは部屋を出て行きました。

しばらく部屋でくつろいでから外出。ここからだとロックフェラーセンターまでも歩いて近い。仕事を済ませてホテルに戻る頃にはすっかり外は暗くなっていました。ホテルの向かい側にあるレストランには列ができていました。まだ夜は少し冷え込むニューヨークの街。私はどこにも立ち寄らず、夜になるとまた違った歴史の風格を醸し出すホテルの外観を眺めながらベルスタッフに挨拶。

おかえりなさいませ。

そう迎えられるとやっぱり安心感があります。狭いけれど白亜のエレベーターホールが美しい。廊下ですれ違ったのは先ほどのバトラーの相棒。かなり高齢の女性。私に気づくと挨拶してくれて、氷をお持ちしましょう、とすぐに奥の方から部屋まで持ってきてくれました。このテキパキした動き。さすがです。先ほどのバトラーも呼べばすぐに来てくれました。ルームサービスも早い。このスピード感に慣れてしまうと大概のホテルはぎりぎり及第点というレベルだと感じてしまう。比較的この感覚に近いと思うのが、帝国ホテルのインペリアルフロアですが、あちらは夜には不在になってしまいます。いや、あまり他のホテルと比較するのはやめましょう。

簡単な夕食は済ませてきたので、そのままラベンダーの香りのバスソルトを入れてお風呂に入ってから最上級の水圧のシャワーですっきりします。そしてもちろんアイスクリームを3スクープ。バニラアイスだけでシンプルに。脂肪分が少なめなのか全体にすっきりとした爽やかな味わい。甘さも軽くて絶妙。あっという間に甘い冷たい時間は終わりました。ほどよく涼しくなったところで今度はあたたかいふかふかのベッドに横になってだらだらする。100年を超える空間の趣を照らし出す淡い明るさのシャンデリアを眺めながら、その歴史に想いを馳せているうちに眠くなってくる…この静かな時間。これぞひとりでラグジュアリーホテルで過ごすことの醍醐味ですね。

朝はバトラーのおすすめに合わせてフレンチトーストをお願いしました。本来であればアスター・コートで…と考えていたのですが、改装中ということで客室へのルームサービスで代替。金色の時間、とでもいうべきでしょうか。空間の持つ雰囲気もあるのですが、とにかく美味しいフレンチトーストです。私の中ではオークラ東京と双璧をなすくらい。全体的にふわりとしていて、甘さもしっかり。ベリーソースの中のベリーのひとつひとつに至るまで素材のおいしさが引き出されていて、そしてマイルドなコーヒーにもよく合います。もしかしたらこれは「わかりやすい味」というものかもしれません。しかし私は、とりわけ朝の寝ぼけた時間帯であればなおさら、複雑な味よりもこういうわかりやすく美味しいものが好きだと改めて思います。

午前中に所用のために少し外出。昼くらいに戻ってきてチェックアウト。エレベーターホールを降りたところで昨日のバトラーに再び会って、出発のときに荷造りのお手伝いが必要であれば…と言われましたが、私はすでに用意を終えたので、今回の滞在が素晴らしかったことと、そしてホスピタリティの高さを賞賛して別れを述べました。

もしまたニューヨークへの旅するときに、セントレジスをお選びいただけるようであれば、ぜひお会いできましたら嬉しいです。できればなるべく早く。私が世を去る前にお会いできたら嬉しいです。と冗談もひと言…また必ず泊まりに来ます。

次の滞在先はほんの少しの距離にあるパークハイアットニューヨーク。ここセントレジスとは色々な意味で対照的なホテルです。今回の滞在は4泊5日ですが、このホテルにもっと長く滞在すればよかったと心から思いました。ぜひ季節を変えてまた再訪したいものです。その頃までにはロビーの改装も終わっていることでしょう。そして願わくば今回のバトラーはじめ、あたたかいスタッフとの再会も果たしたいものです。

50年後に私が生きているかどうかはわかりませんが、50年後であっても、いや100年後でもきっとこのホテルはアメリカを代表するホテルであるという確信に近い想いを抱きます。最新の設備があったり、特筆すべき景観を眺められたり…そんな魅力的なホテルが世界にはまだまだたくさんあります。しかしここは100年前のホテルでありながら、現代の価値観でもまったく古びない居心地の良さがあり、なによりもこのホテルを愛するスタッフ、そして我々ゲストの想いが込められていることを感じます。存在していること、それだけで象徴となるようなホテル。こういうホテルと出会えることは幸福なことです。先日ホテルステイは大きな「無駄」を追求することだと書きましたが、こんな豊かなものに出逢えてしまえるからやはりやめられないのでしょう。

大都会の風にあたりながら、私は次のホテルを目指して出発しました。何度も振り返りながら。

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