関東の冬は乾いた快晴の日が多い。あの日の夜も空気は乾いていて、星が綺麗に見えていて、なんだかぼんやりと海を眺めたい気持ちになったのでした。戦前から避暑のための別荘地として親しまれた熱海は、高度経済成長期あたりには新婚旅行の聖地のひとつとなり、社員旅行の王道でした。そんな時代の温泉地の名残をいまに伝えつつ、ゆっくりと変化を遂げつつあるこの街。熱海パールスターホテルができたり、他方でラグジュアリーコンセプトな旅館が増えていたり…。街を歩くと幅広い世代の人たちを見ることができることからも、そうした変化を感じ取れるような気がします。
私はこのホテル、あるいはオーベルジュという方が正しいでしょうか、熱海の温泉街を伊豆半島へと少し進んだトンネルを抜けた先にあるここのことを、ひそかに海の別荘とでも呼びたい気持ちでいるのです。おそらく歴史的な文脈としても建築的な趣にしても、まさに別荘的なものを意識していることは間違いがないのですが、あの独自の空気感こそが、ホテルというよりは別荘、と呼びたい気持ちの中核にあるのです。
いつものように車で行くのではなく、今日は湘南の海を眺める電車の旅。熱海駅には迎えの車が待機していました。じつははじめて電車できたのですが、ずっと乗ってみたかったサフィール踊り子号にも乗れたし、この気楽さも悪くないものですね。
車が到着するやいなやたくさんのスタッフが出迎えて挨拶をしてくれます。この感覚はホテルというよりは旅館のそれに近いものです。奥に通されると水盤の向こうに相模湾が広がる青い景色。この圧倒的な眺望はひらまつリゾートでも他にないものと言っていいでしょう。個人的に海の王者はここ熱海。そして山の王者は軽井沢御代田です。眺望という意味に限れば。とても穏やかな空気感。心なしか以前よりもスタッフの応対によそよそしさを感じるような気がしましたが、おそらくそれは初めてここにひとりで来たからそう感じるのでしょう。あるいは期待が高いがゆえに余計にそんなことを感じてしまったのかもしれません。
アランミリアのフルーツジュース。私はたいてい白葡萄を選ぶのですが、今回も多分に漏れず。そのまま少しくつろいで、部屋に行くことにしたのでした。
扉を開く。そこには海。そんな言葉しか出てこないほどに圧倒的な空と海の青。特に何も考えることなくただ温泉に浸かりながら海を眺めていようと即座に決断したほどです。数回ここに泊まったことがありますが、これほど綺麗に海が見えたのは初めてのことです。誰に気兼ねすることもなく、ただひたすらに温泉と海を堪能する。部屋の冷蔵庫には冷やしたペリエやアランミリアのネクターが用意されている。それ以外に何を求めましょう。
ひらまつスタイルの部屋で、窓を全開にして小高い丘に吹き込んでくる心地よい潮風を感じながら、熱海の温泉に浸かる。ひらまつらしいアイテムの充実も注目しておきたいところです。ひのきリボンからはどこか高貴さを感じさせられる、懐かしさとあたたかさを感じさせられる木の香りがします。以前はブルガリだったアメニティはフェラガモになっていました。香調は基底部分に爽やかさがありつつも、全体には老練さにも似た落ち着きを感じさせられ、このホテルの雰囲気によく合う気がしました。この香りと共にシャワーを浴びて、温泉の心地よさをじわり。冬と春の曖昧な領域にある風が顔にひんやりとした心地良さを残し、いつまでもここに浸っていたい願望を刺激します。
しかし温泉から出たあとに、これもまたひらまつらしいレガリアのやたらにふかふかのベッドのうえで浮遊感を感じるのも悪くないものです。富士山の絵画や帆船の模型がこの部屋の別荘感に拍車をかけていました。私はそのまま持ってきた本をベッドの上で読みながら、時折視線を上に向けると見える海の青さに心の鎮まりと高まりのさざ波のような揺らぎを感じて悦に入っていたのでした。そうこうするあいだに徐々に日が傾きかけてきたことに気づきました。
周辺を散策するわけでもなく、誰かと話すわけでもなく、ただただ海と向き合う時間。こういうところに泊まると自分と向き合って内省的な気持ちになってしまうのかと思っていたのが実際には逆だったのは意外なことでした。とても外交的になっていくような気がしたのです。それはこの海の眺めがそうさせたのか、それともなにか別の要因があったのか、定かではありませんが、たしかな心の動きに思われたことは間違いありません。ふと、海を眺めていたある日のことを思い出しました。
ひらまつに泊まる上で料理に触れないわけにはいかないでしょう(左上から右へ)。
外気温はまだ冬から抜け出していないけれど、皿の上に展開する季節はすでにもう春。ジャルディニエール風に仕立てた地元の野菜。園芸家と名がついているように整った形からはさまざまな食感と甘さや香りで次の一皿への期待を高めていきます。
続いて寒鰆。魚偏に春と書くだけあって、まさに季節感を感じさせられるもので、ミキュイ、すなわち半生ならではの、舌に乗せたときの香ばしさととろける風合いが絶妙。そこに合わされる春菊のピューレとふきのとうなどの山菜のほろ苦さ、胸を打つ香り、淡い緑の色合い。春だ。
肉厚の蛤はフリットになっていて、さくさくとした食感の直後には驚くほどの噛みごたえがあり、そして噛めば噛むほど味わいが広がり飽きがこないもの。菜の花の苦味や黒米の食感がアクセントになっていて、貝類を煮詰めた濃厚なジューソースに更なる奥深い広がりをもたらしていました。
魚料理は王道の舌平目。そしてホワイトアスパラガス。しかし舌平目は厚めのワカメに包まれていて、極めて磯のニュアンスを感じさせられる一品になっていました。食感を適度に残しつつ、でも総体としては裏方に徹しているキャビアの塩気も心地よいソース。魚の美味しさは言うまでもありません。
肉料理は鴨胸肉の炭火焼き。どっしりとジューシーな鴨肉を引き立てるのはシンプルで贅沢なマデラ酒と黒トリュフを合わせたペリグーソース。食材の活かし方に対する自信を感じさせられます。同じく炭火でこんがりと焼いたポロネギのねっとりとした甘さと香ばしさが鴨に合います。なんといっても結局はカモとネギなのです。圧倒的な説得力があります。
ここでアルコールフリーのワインと共にフロマージュを別にお願いしたのです。以前はもっとたくさんの種類があったように思うのですが、最近はなかなか良いものが入らないとのことでした。少々残念。最後に紅ほっぺのフレジェをデザートに。ハーブティーで食事を終えました。
部屋に戻ると当然外は真っ暗に。それでも窓を開けて上を見上げると星が綺麗に光っていました。それに伊豆半島の少し先の漁港にも灯りを見て取れました。随分とゆっくりと食事をしたこともあって気分はすっかりスローなものになり、またシャワーを浴びて、軽く温泉に浸かり、寝てしまいます。
翌朝は早く目が覚めました。私はホテルに滞在するときには早めの時間に朝食を済ませることが多いのですが、ここひらまつ熱海の朝食のはじまりの時間は遅め。あまり言いたくはないのですが、個人的に朝食についてはやや不満が残っています。最近のひらまつ熱海の朝食のメインはお粥。もちろんお米へのこだわりや付け合わせのひとつひとつの質は高いものの、なんとなく物足りなさを感じます。それにせっかくのトマトジュースやオレンジジュースとの相性もそれほどよくないように思います。おそらくそんなことを考えてしまう理由は、私にとってここの朝食は洋朝食が美味しかったという印象が強すぎるのでしょう。地元の野菜の瑞々しさにときめくサラダが恋しい…エシレバターと上質な蜂蜜で食べるあたたかいパンと香り高いコーヒーが恋しい…近海産の魚介類も巧みに取り入れた絶品の洋朝食。以前と同じくあれが食べたいという思いを募らせるばかりでした。
以前とはちょっと違う…そう感じる部分が少なからずあったことは偽らざる思いです。しかしそれがあくまでも主観性の強い要素であることも重々承知しています。スタッフの距離感も料理の好みもひとそれぞれです。だからまた改めてここを訪ねたらこの感覚も異なるに違いありません。
そう、やはり素晴らしいホテルです。料理もスタッフもそしてもちろん空間も…朝目覚めて、朝焼けに染まる空と穏やかな海を眺めているひととき。そのためにだけでもまたここに訪れる価値があります。そのとき私はどんな心境でここを眺めるのだろう。海を見つめるといつも思う感情が湧いてきます。そんな午前中のひととき。スタッフに見送られながらこのホテルをあとにしました。また快晴。心理的にも実際上もまたひとつ春に近づいた気がしました。