2022年6月 ロイヤルハワイアン宿泊記 マイラニタワー・プレミアオーシャン

次に新しい水着を買うのは、私の大好きなハワイに行くときね…彼女が冗談めかしてそんな会話をしたのはもうずいぶん前のことです。パートナーと出会った頃のことかもしれません。お互いに海外旅行が好きなのにこれまで一度も日本から離れた場所に旅をしたことがない。それほどまでに刻一刻と変化する不安定な社会情勢だったのです。2100年から歴史を振り返ったときにこの時期がどのような意味を持つのか、いまを生きる私たちには知るよしもありませんが、少なくとも、厳然たる事実として、レジャーとしての海外旅行が我々にとって極めて難しいものであったことは間違いのないことです。

そんな4月のある日のこと。彼女は新しい水着を買いました。私は航空券を買いました。

思い返せば最近のわたしたちは必ずしも良好な関係とは言えませんでした。私には私なりの希望や成し遂げたいことがあったり、彼女も同じだった。すれ違い。私はパートナーと別れることさえ何度も考えたのです。彼女の求めるものを私は与えることができないし、私自身もまた幸せとは思えない。今まであたたかいと思っていたことが、だんだんとぬるま湯のようになってきて、いつしか寒さを感じるようになっている…そんな心境だったとも言えます。

なぜだろう…これが最後の旅になるような気さえしたのです。本来であれば、ハワイのような行楽地の旅の計画は明るく楽しいものであるはずです。恋愛はときに人に矛盾に満ちた行動を取らせるものと言えるかもしれません。パートナーも私も、そこはかとないぎこちなさを抱えながら、無理して笑顔を作るようにして空港で待ち合わせをすることにしました。日本航空。ホノルル行き。このときをどれほど待ち侘びていたでしょう。そしてこんな想いのままに搭乗するなど誰が予想できたでしょう。

彼女と会うのは2週間ぶり…いままではもっと頻繁に一緒にいたのに。心の距離がそのまま物理的な距離にもなっているようにさえ思いました。

ファイナルコール。私たちは隣り合って座ります。こんなに近い。ホノルルまで7時間半。夜を超える機内はガンガンとエアコンが効いていました。私たちは少し会話を交わしてから食事もほとんど取らずに眠りました。

飛行機に日差しが入り、朝がどんどん近づきます。鮮やかな青い海が眼下に見えるとまもなくダニエル・K・イノウエ空港に飛行機は着陸。降機した瞬間に、日本の空港では感じることのない独特の匂いが漂いました。香りはひとを一瞬で別世界に誘い、自分がハワイに来たということを認識させます。少し歩いてWelcome to Hawaii,U.S.Aというレリーフを見ながらエスカレーターを降りました。手続きを済ませてタクシーに乗り込み、本日の滞在先であるRoyal Hawaiianに向かいます。

パートナーはこれまで家族や友人と共にハワイに数えきれないほど来ていて、このホテルの魅力についても何度も語られてきたホテルです。私は以前に何度か写真でその鮮やかなピンク色の可愛らしい外観を見たことがありましたが、訪ねるのはこれが初めて。タクシーで彼女の横顔を見ると、いつもよりも明るく感じられました。それがこの日差しのせいなのか、それとも心模様の現れなのかについては、私にはまだ判断できないのでした。

高速道路を抜けて、高層ホテルが連なる通りをしばらく進むとピンク色の外観が見えてきました。ここが…!いままで何度も語られて、何度も想像を巡らせてきたこの色。菩提樹なのか檳榔樹なのか…高い南洋の植物を取り囲むロータリーを進むと、スタッフがタクシーの扉を開けてくれました。

私はてっきりここでプルメリアやハイビスカスで作った花を首からかけられることになるのだろう、と予想していたのですが、実際には黒く固いもの。後から調べるとククイナッツレイというもの。にこやかなスタッフに促されてチェックインに進みました。カウンターは少し混雑していました。私が並んでいるあいだ、パートナーはコートヤードに沿って置かれた椅子に座って空を眺めていました。気温が高いのに吹き抜ける風は心地よく涼しい。エアコンがなくても気にならないし、そもそも窓のないこの場所にエアコンなど無意味でしょう。私はこれがハワイの風なんだ…と妙に感慨深かったのでした。

鍵はピンクのリストバンド。部屋はマイラニタワーのプレミアオーシャンルーム。少し古めかしい湾曲した廊下を進み、部屋の扉を開くと驚くほど青い海が我々の目の前に広がっていました。部屋の色合いも全体的に淡く抑えられていて、まさに想像するようなハワイのホテルの客室がそこにはありました。

正直なところ想像以上に部屋は狭く感じられました。それは平方メートルの問題だけではないのかもしれません。

ひとりだったらきっとこういう部屋にむしろ惹かれることでしょう。鮮やかなレリーフがあって、全体のトーンはハワイらしい色合いだし、テレビやその他の設備についても(お風呂の狭さは置くにしても)十分に機能的。さらにラナイ(ここではバルコニーとは言わない)もついている。特に初めての滞在の場合、私はひとりで泊まるときは、それぞれのホテルの特徴が凝縮されたような空間を好んで泊まります。そういう意味でここは間違いなく要件を満たしているといえるでしょう。本館とも言えるピンクの建物のヒストリックウイングの客室ほどではありませんが、ちゃんとピンクパレスの要素もそこかしこに感じられます。

しかし私はいまパートナーに妙に気を遣います。なんだか一挙手一投足が「審査」されているような気持ちになるのです。そんななかでこの空間は必要以上に狭く感じられたのでした。

波の音と笑い声が部屋の中まで聞こえてきて、青い海と広い空に誘われるように私たちはラナイに出てみました。わあ…ほんとうにきれいだね。パートナーは目を輝かせてそう言いました。それはとても素直で明るい笑顔でした。

このホテルは何度も泊まってるけれど、こんなに高いところから眺めるのは初めてだよ。一緒に来てくれてありがとう。

それは鮮やかな青いグラデーションを描くワイキキビーチの水平線。あるいは燦々と照りつける太陽の明るさ。ハワイの魅力。それをいま・ここで確かに分かち合っています。

それはまだ私たちが出会ったばかりの頃のこと。次に新しい水着を買うのは…と冗談めかして話していたのは、そうだ、沖縄。ハイアットリージェンシーから夕暮れの凪の海を眺めながら…海の近くにいくと悲観的な気持ちになれないですよね、とまだ敬語でお互いに話していたときのことを思い出しました。あのときの言葉が今改めて強い説得力を持って私の中に蘇ってきます。私は無意識かつ自然に彼女の手をとっていました。彼女も自然と手を握り返していました。やさしいSea breezeが我々の頬を撫でるように吹き抜けていました。

私たちは青空のカラカウア通りを歩いてみました。なんだか初恋の人と歩くように言葉少なく。途中でカフェに入ってコーヒーを飲んでみたり、近隣のクラシカルなホテルであるモアナサーフライダーに立ち寄って「ウェスティンの匂い」であることを確かめ合ったりしました。街行く人たちは米国本土からの観光客でしょうか。日本から来たと思われる人たちはほとんどいませんでした。道路で弾き語りをする人もいれば、ブンブンと大きな音を立てて走り去る車もいる。綺麗な海の近くに都市的な雰囲気を感じられるのがなんだか不思議でした。

ホテルに戻ると夕方の雰囲気が漂い始めていました。アーチ型の開け放たれた空間の向こうに緑の芝生と青い海が続いている。それはあまりにも絵画的な趣のあるものでした。まだまだ海で遊ぶ人たちの甲高い声が波の音に合わさって和音を奏でています。それはとても開放的な音でした。

夕食の前にちょっと寄りたいところがあるんだけど…そうした訪ねたのが前々からパートナーが行きたがっていたマイタイバー。私はノンアルコールのマイタイで乾杯。ダイヤモンドヘッドを遠くに眺めるピンクのパラソルの下で、味付けの絶妙なマグロのポキとガーリックシュリンプに合わせます。爽やかな香りがふわりと広がるヴァージンマイタイ。思い描いた夕方のワイキキビーチ。老夫婦がお酒を飲んでいる一方で、子どもが海から浮き輪を持って隣接する通路をはしゃぎながら駆け抜けていきました。

お互いにふたりでいるときはそのままの自分でいよう。こういう人であろうとか、ああいう人であってほしいとか、そういうことを考えずに。

夕陽がのんびりと傾きかけて、空の色はゆっくりと橙色から紫色へと変わってきました。それはしばらく忘れかけていたとても穏やかな夕暮れでした。

夕食から戻るとホテルのロビーはすっかり静かになっていました。歴史のあるホテルのロビーはどこも独特の風格を持っているものですが、このかわいらしい雰囲気のホテルが開業したのは1927年。当時流行していたスパニッシュ・ムーア様式を取り入れたといいます。どこか思い描くアメリカらしさとは異なるエキゾティズムを感じられるのはそうした建築様式に由来するのかもしれないし、客船に乗って訪れた客の運んできた気風が今も息づいているためなのかもしれません。クラシカルなホテルの夜にはそうした歴史に思いを馳せたくなります。

夜のラナイから外を見ます。星空の下には波しぶきにほのかに甘い島の夜風が混じります。ぼんやりとピンク色の建物が光に照らされていました。この海は太平洋。この海をずっと進んでいくと日本にたどり着くのですね。数日前に過ごしていた横浜の港にも至るのでしょう。思えば、横浜こそ日系移民がこのハワイの地を目指した場所であったのです。日本で見ていた太平洋は深い青色だったような気がしますが、幾多の青い色の変化の先に、この島があるのです。しかしそれでも同じ海。

そんなことを思いながら部屋でシャワーを浴びます。とてもやわらかな花の香りがしました。

グアバジュースと共にグアバの香るピンク色のパンケーキを。私はエッグベネディクト。昼でも風は爽やかでしたが、朝はとりわけ外が心地よく感じられました。ハワイの朝食がなぜこれほどまでに人の心を惹きつけているのか、そのわけを知ったような気がしたのでした。料理が美味しいのはもちろんですが、心地よい空気感がなんともいえません。食事は「何を食べるか」と同時に「どこで食べるか」ということも重要なことだと改めて思ったのでした。

その日は午前中に所用を済ませて、午後は海で遊ぶことにしました。海で遊ぶ。なんという響き。私たちは童心に帰ること、あるいは海や地球という大きななにかに触れることから随分と離れて暮らしていることをふと思ったのでした。なにもせずに海に浮かぶ。波に煽られて足をつけたら珊瑚。そして砂浜の向こうにはダイヤモンドヘッドの威容がちらりと見えました。照りつける太陽に寄せては返す波。それがこのときの私たちには必要だったのかもしれません。

私たちはふたたび手をとって白い砂浜を歩きました。ピンクパレスは今日も午後の日差しを浴びて、愛らしい姿で迎えてくれました。今日はMichel’s at the colony surfにロブスターのビスクを食べにいきましょう。しかしその前に部屋で少しのんびりします。お互いの関係がどうなっていくのかはわかりません。しかしこのハワイの気風のように、私たちはときにお互いの人格について、人生について、将来について、ゆったりとおおらかに構えることも必要でしょう。いま私はそんなことをしみじみと考えているのでした。少なくとも部屋の狭さはもはや気になりません。

ダイヤモンドヘッドを眺めるこの海に面した前庭が私のこのホテルで最も好きな場所となりました。どこまでも青い…かつてエルヴィス・プレスリーが歌っていたBlue Hawaiiの世界。The night is heavenly..そんな夜。まだ夜は若い。きっとまたここを訪ねることでしょう。

明日ここをチェックアウトしたら、今度は私が泊まりたかったホテルに移動します。次に来るときにこの景色をどのような心境で眺めるだろう…穏やかに寄せてくる波の音と海風に運ばれるほのかに甘い香りの中で、そんなことをしみじみと思っていた夕暮れのひとときでした。

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