東京を代表する外資系ラグジュアリーホテルのひとつと言っていいパークハイアット東京。2024年の5月をもって一時的に改装のための休館となるわけですが、同ホテルも開業からちょうど30年。このホテルについても語りたいことがたくさんありますが、ここではひとこと、それはひとつの完成形であったと言える、ということに留めておきましょう。完成形ということはプロトタイプがある。いつかそこに行く機会を私はずっと待っていました。
このホテルの伝説は1980年にはじまります。場所はアメリカ、イリノイ州のシカゴ。広大なミシガン湖と街のシンボルであるウォータータワーを望む立地に君臨するホテルです。今日はパークハイアットシカゴについてリポートしてまいりましょう。
旅の始まりは香港から
なぜ東京からシカゴに向かうのに香港から旅をはじめたのか。まずはそこから話をはじめなければなりません。理由は単純。この飛行機に乗るため。
そう、愛すべき深緑色の翼。キャセイパシフィック航空。
私はこの航空会社がことのほか好きなのです。もともと今回の旅程の最終目的地はニューヨークでしたが、直行便を就航させている日本航空の良い時間の飛行機で希望の席が取れない。これはあくまで私の予測ですが、最近デビューさせたA350-1000が人気のためだと思うのです。それならば少し遠回りになっても香港経由で行ったほうがいい。そう私は考えたのでした。その港湾都市としての歴史的な経緯も手伝って名ホテルがひしめき合う香港という街。その航空会社もまた高いホスピタリティと洗練された機内設備であると私は思います。それにラウンジで食べられる坦々麺も好き。
ハーゲンダッツとピエールエルメのコラボレーションのアイスクリームを食べて、甘さと渋さのバランスが絶妙な香港スタイルのミルクティーを飲んでいるうちに香港に到着。そこからニューヨーク行きの飛行機に乗ることも不可能ではありませんでしたが、やや乗り継ぎの都合が合わない。そこでいくつかの米国方面の都市に立ち寄ることを考えた時に思いついたのがシカゴでした。シカゴ行きのフライトは翌日の昼頃。これはちょうど良い。香港の街でしばらく休憩することにしましょう。
数多くの名ホテルからのひとつを選ぶのは案外大変なものです。しかし今回はカジュアルなこちらのホテルを選びました。AKI HongKong M gallery…フランスのアコーホテル系列のブティックホテル。乗車したタクシーの運転手に行き先を伝えると、日本みたいな名前ではないですか、と。そして実際にこのホテルは日本的なものが多く盛り込まれているユニークなホテルでした。今回の部屋はTATAMIルーム。香港の湾仔にあって、フルハイトウインドウの向こうには摩天楼。ここで靴を脱いで部屋に上がるというのはなんだか不思議な感じがします。でもなんだかちょっとほっとします。最近私はつくづく自分のことをドメスティックな人間だと思うようになってきた気がします。以前は海外でもどこでも快適に過ごせると思い込んでいたのですが、やはり私は日本から離れて生きていくことが難しいタイプの人間のような気がします。
シャワールームの隣にはご自慢の「日本式トイレ」があります。特筆すべく客室設備としてSmart toiletなんて呼ばれる場合もありますが、会話のうえでは、しばしばJapanese Style Toiletなどと言われたりもしています。それまでJapanese styleなんて言われると、いわゆる「和式便所」のことか、なんて思い浮かべたりしたものですが、いまや世界的に清潔で先進的な日本式のトイレは知られるようになってきたのかもしれません。ここ香港でも最近リノベーションしたアイランドシャングリ・ラ(ここも愛すべき素晴らしいホテルです)や、W香港の限定3室にもこのタイプのトイレが設置されました。それ以外にもマレーニッコロやローズウッドなど…いずれにしても高級なホテル。ここAKI Hong Kongも客室がコンパクトな割にさほど安いわけではありません。しかし日本では低廉なホテルであってもこの設備は標準、水回りもしっかりしていて、親切で丁寧なスタッフも数多い。私が最近自分自身をドメスティックな人間だと思うのは、まさにそうした、日本式の快適な水回り設備を備え、ほっとするホスピタリティや空間がものすごく気軽に手頃に手に入るその環境の良さを常々実感しているからに他なりません。もちろん掘り起こされない魅力を見つけ出すことにもはまっているわけですが。
逆に日本国外で日本で過ごしているような快適性(治安も含めて)を得ようとするならば、どうしてもある程度の水準以上のホテルを選ばざるをえなくなる。少なくとも私はそうです。さてトイレの話から随分と脱線してしまった気がしますが、おかげさまで快適な滞在となりました。スタッフもちょうどいい距離感で心地良く感じましたね。
翌朝の昼に香港を出発して、夜を超えて、到着は現地時間の14時半。このような長距離の旅というのはいつも時間の感覚がおかしくなる気がします。さらに香港経由。自分の乗っている飛行機が昨日出発した日本の地の上空を通過するのはなんだか大きな無駄をしているような気がしました。大阪を超えて、東京を超えて、しばらくしたら寝ていました。無駄な時間。でも私の人生からそんな無駄な時間をなくしてしまったら、もうそれは私の人生ではないような気がしてきます。そもそもホテルステイということ自体が経済合理的に考えたら大きな無駄になるはずです。
パークハイアットシカゴ
フライトも順調。入国審査も概ね順調に済んでシカゴの街へ。なんとなくふらふらしながら。気温も寒すぎず暑すぎず適温です。割とスピード感のある車に乗ってシカゴの中心部へ。噂に名高きLOOPの高架鉄道に乗ってみようと思っていましたが、その気持ちはなくなりました。ホテルの吸引力。そのせいでしょうか。
車が正面玄関につくと堂々たる雰囲気。思い描く古き良きグランドホテルの威容があります。これは自分でもいうのも妙なことですが、パークハイアットというよりもグランドハイアットではないか、とふと思ったほどでした。しかし驚くべきはエントランスの中にはどっしりとした柱に現代アート。そしてソファとフロントだけで無駄だらけの空間。このカフェやレストランは配置しない贅沢な空間の使い方はまさにラグジュアリーホテル。スタッフも一度通ったらすぐに名前を覚えてくれました。
ベルスタッフの応対、そしてチェックインのときの感触で、だいたいそのホテルに対する印象や満足度の測定ができるような気がしていますが、ここは満点の対応であったと思います。良い意味で無駄の多い(それはホテルの世界観の演出に寄与するものです)空間にパーソナライズされたサービス。パークハイアットの元祖に訪れて、まさに私が思ったのはパークハイアット東京に泊まると感じるその印象の祖型とも言えるものだったのです。
今回滞在するのはスイートルーム。Mindfulness Suiteという部屋タイプ。快適性を追求したベッドの心地よさや広いお風呂に特徴づけられたまさにMindfulnessを志向するスイートルーム。個別の部屋がコンパクトに作られているために、広いスイートという印象はありませんが、私の個人的な好みとしてはこれくらいの小さな部屋が連続している部屋タイプがもっとも落ち着きますね。そういった意味でも私はMindfulness。長いフライトのあとに泊まるにはまさにうってつけであると思いました。
このスイートルームのもうひとつの大きな特徴はこの広いテラスの存在でしょう。少し高い壁があるもののこの街で最も古い公共建築物であるウォータータワーが正面に見えます。19世紀シカゴの街を大火が襲って、市街地の大半が焼け落ちてしまったけれども、この建物だけが現存しています。ほとんどなにもなくなってしまったがゆえに、のちに世界で最初に摩天楼が誕生した街にもなるわけですが、このウォータータワーはその復興の象徴であったといいます。ある意味で現代の建築を考える上で欠かせない都市とも言えるシカゴですが、もうひとつ建築との関わり合いで言えば、やはり「建築界のノーベル賞」と言われるプリツカー賞の存在でしょう。
プリツカー賞を授与するのはシカゴを本拠地とするプリツカー家。言わずと知れたハイアットのオーナーです。パークハイアットをはじめとして、東京にあるハイアットホテルの基調に現代建築やアートが据えられているのも納得です。そのプリツカー家率いるハイアットが1980年に新しいラグジュアリーホテルの形を探し求めて開業させたのが、ここパークハイアットシカゴだったのです。
なお同じ年にニューヨークで後に大統領となるドナルド・トランプと手を組んで開業させたのが元祖・グランドハイアットであったりもします。トランプはこのホテルの開業をきっかけとしてニューヨークの不動産市場で名を売ったことで知られています。私のようなハイアットファンにとってはその意味で、シカゴとニューヨークは二大聖地であるとも言えます。
日没が遅いのですが、時刻としてはもうすっかり夕食の時刻。ここであえてバー・ダイニングのNoMIでハンバーガーを食べてみることにしました。これがまさに絶品。チーズのとろけ方といい、ビーフパティの香ばしさといい、オニオンピクルスのアクセントといい、まさに王道の最高品質と言って間違いないでしょう。一緒に出てきたトリュフソルトフレンチフライも含めてこれは欠かさずに食べておきたい。スタッフもよく気が利いているし、全体に落ち着いて洗練された雰囲気のラウンジであるのに、安心できるフレンドリーな接客はさすがのハイアットタッチ。まさに「本家」というにふさわしい。
さて食事を終えてほどなくすると、摩天楼の街に夜が訪れました。明日はニューヨークに向けて出発しなければなりません。もう少しゆっくりとこの街で、いや、このホテルで過ごしてみたかったと今更ながら思います。シカゴの街を訪れた理由のほぼ100パーセントがパークハイアット。ここでもまた思うのは意義深くも少し馬鹿らしいほどに大きな無駄、ということ。ホテルステイは生き生きとした無駄の連続にすぎません。でも、やっぱり、そこから抜け出すことはできません。
翌朝は私が朝食に一番乗りでした。ただでさえホテルステイでもっとも好きな時間なのですが、見知らぬ土地ではじめて迎える朝は格別の良さがあります。高層階に位置しているNoMIレストランの大きな窓からは東側にのぞむミシガン湖が見えました(眩しいのでカーテンが閉まっていますが)。お好きなものを注文してください。お馴染みのパークハイアットのグローバリストスタイルの朝食。私はベリースムージーとエクストラホットコーヒーとシャクシュカ。シャクシュカはまだ日本で食べられるところが少ないのですが、ちょっとスパイシーなトマトベースのソースのなかに半熟卵が乗っている料理。フラットブレッドと一緒に食べるのですが、これがまた目覚めに活力を与えてくれる気がします。合わせて用意してくれたちょっと甘さと塩気のバランスの良いソーセージも良い。どれも想像以上の質です。私の中では理想的な朝食と言っていいでしょう。スタッフも全員がとても感じのよい接客で、最後の最後まで「本家」らしい感動を提供してくれました。
いつのまにかすっかり顔を覚えてくれたスタッフに見送られてチェックアウト。プエルトリコ出身のジャズ好きな運転手の車に乗って再びシカゴ・オヘア空港を目指します。わずかに1泊2日。しかも午前中にはホテルをあとにしなければならなかったので滞在時間はとても短いものとなりました。それにもかかわらずあたたかいホスピタリティや空間の居心地の良さも手伝って、印象深い滞在になったことは強調しておきましょう。
1980年の開業。最新の設備をそなえたラグジュアリーホテルというわけではありません。ちなみに日本にも同じ年に最初のハイアットホテルである西新宿のセンチュリーハイアット(現:ハイアットリージェンシー東京)が開業しています。東京の「リージェンシー」のことを思い浮かべると、大きなアトリウムに大きなシャンデリアが華やかに煌めいている…という、立派だけれども、いまとなってはちょっと古風な印象を持つ方も少なくないと思います。もちろん客室などのリノベーションは行なっているけれども、リージェンシー東京と同じ時代のホテルなのだから、その80年代的な雰囲気を感じさせないわけではありません。クラシックホテルといえるほど古いわけでもないし、かといって今どきのホテルというにはあまりにも年数が経っている。一歩間違えれば「中途半端」の烙印を押されかねないわけですが、ここにはそれを超える「タイムレス」な魅力があります。是非ともハイアットファンならずとも一度は泊まってみてその雰囲気に触れてみていただきたいと思うものです。
シカゴの空はずっと晴れていました。春にはなったけれどもまだ冬のニュアンス。季節を変えてこの街を訪れたなら必ずやこのホテルにまた泊まろう。そんな想いを繰り返しながら飛行機の窓からシカゴの街はどんどん遠くに離れていきました。