釜山駅からはきらきらと輝く海が見えました。密陽経由でのんびり走っていたKTXは、大邱を出るとスピードを上げて、枯れた山々やいきなり現れる高層ビルの都市を抜けて、ようやくソウルの街まで辿り着きました。現代的でありながら日本の大都市の駅に比べると妙に無機質なプラットホームに降り立って、そのままタクシー乗り場へ。ハイアットまで。でも南山のグランドハイアットではなくて、三成のパークハイアットに。わざわざ運転手に「三成、パークハイアット」と念押しをするのが以前からの癖なのです。それくらい漢江の北側にあるグランドハイアットの存在感は大きなものですが、江南側のパークハイアットも完成からそれなりに時間が経過したこともあり、いまはある程度知られた存在にもなってきたのでしょうか。割とすんなりと(ナビを入れることもなく)車を走らせてくれました。
運良く渋滞にもほとんど巻き込まれることなく、今回の旅の最大の目的地であるこのホテルにたどり着くことができました。COEXの前にあってそれなりに存在感がありますが、入り口も車寄せも想像以上にコンパクトで、どこか隠れ家のような雰囲気が漂います。
ああ、本当に久しぶりに来た…思わずため息がこぼれそうになります。ソウルで最も好きなホテル。でもなんだかんだでなかなか来る機会が持てずにいました。コロナのせいもありますが、それ以外にもさまざまな巡り合わせで。ここのところ折に触れて思うことは、自明のことでもあるのですが、ソウルは東京からとても気軽に行くことのできる街です。そしてこのホテルだけでもこの街に何度でも訪れる価値があると思うものです。
おかえりなさいませ。チェックインを担当してくれたスタッフはそうあたたかく迎えてくれました。そうそう、韓国の他のどんな場所でも基本的にみなマスクを着用していたのですが、このホテルだけでは誰もマスクをしていなかったのです。ホテルのスタッフがマスクをしていないというのは、数年前まで当たり前であったはずですが、いまは逆に妙に新鮮に思えたのです。部屋の準備は整っております。笑顔で鍵を渡されて、高層階のスイートルームにチェックイン。
フルハイトウインドウから開放的な景色が展開します。私のなかにあるハイアットらしさのひとつには浮遊感のある客室というものがあるのですが、ここほどその感覚を覚える客室を私はいまだかつて知りません。ユニークな段々構造のビルと昼夜を問わず車の行き交う幅広い通りの交差点。寒々しい冬空と遠くに見える岩山。どこか刺激的な香水のような匂いをほのかに感じるリビングルーム。さまざまな要素が五感を刺激する部屋です。
五感を刺激するとはいったものの、もちろん落ち着かないというわけではなく、ベッドルームの快適性は言うまでもなく高い水準にあると思います。個人的には窓の横に置かれた大きなソファでくつろいでいるとき、最もこのホテルらしい非日常感を味わえるような気がしています。
このホテルの客室の個性的な側面をひとつだけあげるとして、岩盤と鏡とガラス窓が不思議に組み合わされたこの圧倒的な眺めを誇るバスルームを選ぶ人はおそらくかなり多いことでしょう。このバスルームはスイートのみならずスタンダードルームも共通。スーパーポテトのデザインらしくとても感性を刺激されるバスルームです。ここから見える景色が少し変わっていること以外に数年前と異なるのはアメニティがLe LABOになっていることと、トイレが新しいものに変わっていることでしょうか。いずれにしても何度ここに泊まっても、このバスルームには感動します。
ひとしきり客室に感動したあとで、少し甘いものが食べたくなってラウンジへ。ここの甘いものというとハニカム付きの蜂蜜を乗せたスイーツというイメージが個人的には強くあります。夏であればやたらに豪華なピンスでも食べたいところですが、今日は米のアイスにハニカムを乗せたシンプルなものを頂くことにしましょう。合わせて韓国式の生姜茶も。隣に座っていた家族連れがビビンパを食べていて妙に惹かれつつも、夜にしっかり食べようと思い直して、ひとまずアイスと外の景色に集中することにしました。そういえば、いつも思うのですが、ここのスタッフはちょっと独特。パークハイアット東京の感じにも似ているように思います。これは極めて主観的な印象であるかもしれないし、あえてそれを言語化することも控えますが、あの感じが好きな方はきっとこのホテルもとても好きなのではないかと密かに思っています。
今日はもうどこにも出かけません。というよりもあとはもう空港に向かうまで残りの時間全てをこのホテルで過ごします。こうしたラグジュアリーホテルには人を惹きつけて、外に出かけさせないような力があるような気がするものです。まだ夕食まで少し時間もあるので、せっかくなので、急遽スパを受けることにしました。OCELAS SPAという新しいメニューが気になりましたが、今回は従来からのコースを受けることにしました。なお温浴施設は以前のままです。光の入るジャクジーでくつろいで、Aesopの香りに癒され、あとはロッカーエリアに併設されたデイベッドに横になる…やはり良いものですね。
トリートメントは、リズミカルなタッチが心地よく、非常に対応も丁寧でした。あとはCITRUSバーでアフターティーやデトックスウォーターを飲みながらしばらくぼんやり。
部屋に戻るともう日没も近くなってきていました。綺麗なグラデーションを描く冬の夕焼け。ちょっとだけメランコリー。しかし賑やかな通りや電子広告の華やかに光る様子が対照的で、そんな光景ひとつとってもアジアの都市にはエネルギーが溢れているような気がしたのです。その明るさが現実を忘れさせるように作用するような気がしています。街のもつ力とホテルのもつ力…そのふたつの力に絆されて私はアジアのホテルの魅力から逃れられずにいます。
エレベーターでホテルの地下まで降りると、洞窟のような秘密基地のようなバーにたどり着きます。vinylミュージックがかかり、グラスやボトルが妖しげな光を放つThe Timber House。ここもまたスーパーポテトのセンスが光る空間。ハイアットファンであれば、ハイアットリージェンシー京都の東山バーとどこか似ていると気づくはずです。ただやはりこちらの方が現代的な都市に立地しているだけにより派手な雰囲気が漂っています。
今日はひとりですが…どうぞどうぞ、こちらの席でもあちらの席でもお好きなところにどうぞ。きびきびとしたスタッフに促されて、なんとなくカウンター席へ。
おすすめはありますか?なにか軽食とモクテルを…モクテルといえばヴァージンモヒート。そしてやはり韓国らしいものを食べたくなってトッポギをお願いすることにしました。
ポップコーンをどうぞ。これは予想外のものが出てきたと思いましたが、甘さと塩気が絶妙なことに加えて、なぜかヴァージンモヒートと妙によく合うので、口に運ぶ手が止まりません。軽快な音楽。そしてまだ出会ったばかりと思われる女性を口説くイケイケのお兄さんの会話。あの緊張と期待が入り混じった絶妙な距離感は国境を超えて普遍的な気がします。それにしても美味しいポップコーン。若い女性のバーテンダーがひとりポップコーンに夢中になる私を見て微笑みを浮かべていました。
そして運ばれてきたトッポギ。どうやら新人らしいこれもまた若い男性スタッフ。英語はやや拙いのだけれど、その笑顔でなんでも乗り切れるような不思議な勢いがありました。ここは全体的に若い雰囲気のバーなのですが、それが妙に心地よく感じられます。そしてトッポギがこんなに美味しいとは。帆立や海老が入っていることもあって海鮮の旨味と餅の甘みや食感が絶妙。海老の頭は別に添えられてきたのですが、吹けば飛ぶような軽い食感で後味は香ばしい。まるごと食べてしまって、もうこれだけで夕食でも(空腹度合いは別としても)大満足な一品といえましょう。
The Timber Houseで思いがけず美食を堪能してしまったわけですが、今日の夕食のメインはラウンジでいただく韓国料理のコース。昼の明るさとはまた少し異なるムードのある雰囲気になっていました。スペースとしてはさほど広くないのですが、天井の高さや客室同様のフルハイトウインドウがむしろ開放感をもたらしていて、ここもまた天空のレストランのような趣を強くもっていました。今日は人もさほど多くなく、なんともゆったりとした雰囲気。今回の渡韓の初日に入ったお店のエネルギー溢れる感じとは対照的な優雅な時間の流れを感じさせられました。
胡麻のペーストにスティック野菜をつけて食べる前菜からはじまり、韓国風の刺身、鮑、カルビとコースは続きます。全体的にとてもあっさりしており、刺激的で赤いこの国ではおなじみの美味しさとまた違った奥深い味わい。どちらも好きです。極め付けはごはんとスープ。ごはんは数種類のきのこ。スープはあさり。シンプルな食材から極限まで旨味を引き出していて感動的な美味しさ。その調理の方向性は和食にも似たものを感じますが、最後の引き締め方が韓国式。この国の料理もまた私の想像している以上に幅広いものなのかもしれません。まだ味わったことのないものに対する期待や想像力をかきたてられました。
部屋に戻ると様々な都市の光が乱反射する夜景に見惚れます。遠くて近いあの景色。走りすぎる車のライトはとどまることを知りません。ビューバスにお湯を。改めてよくここまで開放的なバスルームを作ったものだと思います。
外はきっと寒いのでしょう。足早に歩道を歩く人たちが見えました。忘れてしまったこと。そして覚えていること。思えばこうしてここから景色を眺めるのも数年ぶりのことです。
バスローブを着て、再び窓の外へ。ソファーにかけてテレビをつけると異国のバラエティー番組。内容はよくわからないけれど、なんとなく見てしまいます。司会者が出演者に答えづらい質問を投げ、大袈裟なリアクションがクローズアップされる。ポップな自体のハングル。唐突に入るCM。うとうとしてきました。でもいつまでも眠らないような顔をしているこの街に対抗するように、もう少し起きていたいような気もします。
そんなことを言いつつ、結局は眠ってしまったのですが、少し早く目が覚めました。朝の6時。この時期のソウルだとまだ外は真っ暗でした。電子広告とビルの明るさは昨夜と変わりません。食事まではまだもう少し時間があるので、このままもうひと眠りしてもよかったのですが、せっかくなのでプールに行くことにしました。すでにスパのスタッフは準備を整えて、朝一番の客を迎えていました。私以外にもうひとり壮年の男性がジムエリアで走っていました。
泳ぎ終えて、シャワーを浴びて、身支度を整えて…そして朝食へ。
朝食は以前と変わらずに2階のCornerstoneで。パンと鮑のお粥が美味しかった記憶がありますが、やはり相変わらず美味しかったです。ここは歩道からの距離も近くて、朝だと通勤途中の人たちの様子がよく見えます。この人たちにとって新しい一日の始まり。私もそろそろ食事を終えて、日本に帰る支度をすることにしましょう。
翌日もすっきりとした天気でした。相変わらず外の空気は冷たく乾いていて、まだしばらくは冬が続くようです。今回もまたあっという間の滞在時間でした。私は個人的にひとつのところにとどまることをそれほど好まない方で、必要な場合以外には連泊もしない(同じ都市でホテルを変えたりするのが好きです)傾向にあると思うのですが、なんだか今日は無性にパークハイアットソウルに連泊したい気持ちになりました。そしてこういう気持ちになるとき、決まって思うのは、良いホテルというのはそういうものなのだということです。
あたたかくなったらまた来よう。しかしソウルには個性的なホテルが他にもたくさんある。多くの選択肢に恵まれたこの場所にまた気軽に来られるようになったことを喜びつつ、私は漢江を横に眺めながら空港に向かいました。