2022年12月 ウェスティン朝鮮ソウル宿泊記

なにも予定のないクリスマスの翌日に降り立った仁川空港には乾いた寒さが漂っていました。思いがけず年末のソウルに1泊滞在することになり、あてどなく乗りこんだ満席の飛行機。ボーディングブリッジを降りる人々は着込んでいて、久々に訪れた冬の隣国のこの冷気を瞬間的に思い出させました。数年前に来たときとは色々な意味で状況が変わっている。果たしてそれが自分にとってどんな意味を持つのだろうか。そんなことをぼんやり思いながら、窓の外には氷の浮かぶ漢江が見えました。

ずっと泊まってみたかったんだ…特徴的なゆるいアーチを描く建物が見えてくると、そんな思いが込み上げてきました。このホテルを知ったのはおそらく25年ほど前でしょうか。なぜかやたらと印象に残っているのは、お土産品の定番だった高麗人参と海苔と竹塩石鹸。B747に乗って成田から金浦空港へ。まだ仁川空港はなくて、高級ホテルであっても基本的にアメニティは有料でした。ドラマもK-POPもコスメもあまり有名ではなかった当時から考えると信じられないほどにソウルも都会的になりました。

その当時泊まったのがロッテホテル。本館と新館とあって、インテリアが「よりこってりしている」というよくわからない理由で新館に泊まったのでした。そしてそのロッテホテルからすぐ近くに見えたのがウェスティン朝鮮。ゆるいアーチの建物に取り囲まれた伝統的な建造物が印象的でした。

あのホテルは韓国で一番古いホテルなんですよ。誰かにそう教えてもらってから興味を持って以来、何度もこの街に来ているのに、その後一度も泊まったことはありませんでした。その大きな理由にこの街にある個性的ないくつかの個性的なハイアットホテルがあるということは付しておきますが、その話題に踏み込むのはまた日を改めることにしましょう。

さて思い出に浸るうちにホテルに辿り着きました。

クリスマスを過ぎても特に飾りを外すことなくきらきらとした雰囲気のロビー。そういうどこか緩いところがなんとなく心地良い。天井がやや低くもどっしりと良い意味で無駄の多い空間が多いところに古い建物であることを感じさせられます。スタッフは丁寧で安定感があり、老舗ホテルであることを感じさせられます。このあたりは日系の老舗ホテルと同じような感覚があります。私のなかで勝手にソウルの韓国系御三家ホテルがあって、ロッテホテル、新羅ホテル、そしてここウェスティン朝鮮がそれに当たります。そして敢えて東京の御三家に当てはめて考えるならば、ロッテはニューオータニ、新羅はオークラ、そしてウェスティン朝鮮が帝国ホテル、かな、と思っています。誰かとその分類の妥当性について話してみたい気がします。

ちなみにウェスティン朝鮮の開業は1914年。総督府鉄道によって朝鮮半島に初めて開業したホテル。その地で初めてということや国策で開業したこと、なんとなく帝国ホテルと共通点があります。ちなみに両ホテルともに現在の本館の建物の竣工が1970年であることも不思議な一致です。もちろん辿った歴史は全く異なるけれども、世代を超えて愛されたきたホテルに漂う空気感や支えるスタッフの矜持にはどこか似たようなものがあるのかもしれません。

スタッフにエスコートされて部屋に入りました。このホテルの雰囲気とも共通する落ち着いた色合いがとても心地良く感じます。長旅というほどではないものの、一日中移動していたこともあって妙にほっとしました。新しい驚きとか好奇心に訴えかけてくるようなものは特にないのだけれど、このような安心感というのはたいせつであると改めて思います。ウェットエリアも質実剛健な印象があります。広くもおしゃれでもないし、バスルームも独立しているわけではないけれど、それほど悪い印象はありません。いまの私が求めていたのは、こういう良い意味での古さだったのでしょう。

寒空の夕焼けがその切なさをビルのガラスに反映されていました。雪が溶けずに地面を白くして、木々のない岩山にも冠雪。寒い街の冬。付近の繁華街である明洞はそれなりに多くの人で賑わっていましたが、閉店した店もそれなりにありました。数年前に見た街といまここで見ている街と。それは連続性の上にあるけれど、私の中にはなにかしらの断絶的な体験がありました。出会いと別れ。そのとき考えていたこと。そしていま直面していること…まだうまく言葉にできていないけれど、でも自分の根底にあるなにかが変わりつつあることを密かに感じていました。それが孤独なのか解放なのか、あるいは全く別の何かなのか。

夕焼け空を眺めていると色々なことを考えてしまいそうです。この乾いて美しくも哀しい冬空。こんな空を都会のまんなかでひとり眺められるなんて、なんとなくロマンティックです。

以前よく行ったお店で夕食を取り、歩いてホテルまで戻ってきました。乾いた寒い風は容赦なく吹き付けてきますが、それはむしろ冴え渡ると表現するのがまさに最適と思えるもので、あらゆる景色がくっきりと色鮮やかに見えるような気がしました。老舗ホテルという言葉の堅さとは対照的なポップなイルミネーションがかわいらしく、このホテルの幅広さを感じさせられます。ロビーを通ると偶々チェックインを担当したスタッフが通り掛かり、挨拶と軽い会話を交わします。寒いひとりの夜の小さな会話のあたたかさ。大袈裟かもしれないけれど、生きていることは素晴らしいな、と思います。

寒い夜のあたたかいお風呂とはどうしてこうも気持ちの良いものなのでしょう。そしてそのあとに食べるアイスクリームはどうしてこうも美味しいものなのでしょう。ルームサービスで注文した「朝鮮ホテル」の名を冠したチョコレートアイス。ワンスクープで注文したのですが、その大きさに驚き、また豊かなショコラの香りと絶妙な甘さとまろやかさがたまらない。さすがは朝鮮半島で最初にアイスクリームを提供した場所だけのことはあると妙に納得します。

夜の光に照らされる圜丘壇。変わりゆく街の景色の中にぽつんとその歴史を留めていました。他方で市庁舎の前に設置されたアイススケートリンクで楽しむいまを生きるたくさんの人たち。走り去る車のライト。この大都市の変化の激しさ。変わりゆくことも悪くない。外はますます寒そうです。そんな想いを飲み込みながら、私はそろそろあたたかいベッドで休むことにしましょう。

朝食を済ませたらもう帰国。今朝はマイナス9度の冷気が吹く快晴の空。ホテルから出る蒸気が天に向かって伸びていました。何度も訪れたこの国の様々な思い出の一角にありつつ、ずっと泊まることなく過ぎ去っていたこの老舗ホテル。立地の良さと雰囲気に強く惹かれてついに泊まることができましたが、間違いなくまた来たいと思える居心地の良さを発見しました。圜丘壇の門は開かれた。チェックアウトを担当した高齢のスタッフは私を見送ってくれました。

暖房のよく効いた車内でうとうとしながら、乾いた寒さのソウルの街をどんどん離れていきます。それでも私はなにかまた新しい一歩を踏み出すような心境になっていくことを感じながら、東京行きの飛行機に乗り込んだのでした。

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