帝国ホテル(インペリアルフロア)宿泊記・130年の歴史に思いを馳せる滞在

日本を代表するホテルとして帝国ホテルの名前を挙げることに異論のある人は少ないでしょう。それほどの長い歴史に裏打ちされた知名度を誇るホテルであり、またそのサービス水準の高さは伝説となっていて、しばしば話題になります。

ただここで個人的な見解を言うならば、そうは言っても、いまは外資系のラグジュアリーホテルも増えてきているし、その空間的な洗練も、サービスレベルの高さを考えると、なにも帝国ホテルだけが特別な存在とは思えない。だからそんな「伝説的」などというのは大袈裟だし、その割には宿泊代もそれなりに高いここをあえて滞在先に選ぶ積極的な理由が見つからない…そんなわけで率直にいえば、この歴史あるホテルを少し侮っていたのです。

しかし、先日、そんな帝国ホテルにふと泊まりたくなったのでした。理由は様々ありますが、それはこれからひとつひとつ語っていくことにしましょう。最初に言っておきたいことは、やはり、帝国ホテルは素晴らしい、ということです。外資系ラグジュアリーホテルとは一味違う上質な滞在…今回はそんな新しい発見についてリポートしてまいりましょう。

チェックイン

今回は車ではなく、地下鉄でホテルまで向かいます。都内の自宅からいつもより少し小さめのバッグを持って、都内のホテルに向かうのも久々のことです。駅から地上まで出たら日比谷公園を道路の向こう側に見ながら、ホテルを目指しましょう。

ブロンズ色でどっしりとした威容の建物。歴史的建造物のような味わいもありませんし、新しいビルのような斬新さもありませんが、1970年完成ということで50年を経たモダニズム建築には、独特の重厚感があり、なんだか安心します。もともとここには近代建築の天才、フランク・ロイド・ライトの手による石造りの見事な本館があったといいます。その姿を一度は見てみたかったと思いますが、いまのこの姿も、それはそれで魅力的に思えてきます。

冒頭からずいぶん昂奮気味に建物を褒めてみたのは、だんだんと昭和30~40年代のホテル建築が少なくなってきたと感じているからで、特にラグジュアリーホテルでその傾向は顕著だと思うからです。個人的に最大の喪失感は、ホテルオークラの本館でしたが、伝統ある日系ホテルもこの10年で、少なくともハード面では、だいぶ様相を異にするようになりました。そうしたなかで帝国ホテルの本館はかの時代の重厚なホテルの魅力を今に伝えています。そのことだけでも、このホテルに足を運ぶ価値はある。

ただそれでも宿泊代は決して安くはなく、同じ価格を出すなら魅力的なホテルはたくさんある…そう思ってきました。しかしこのロビーの風格を前にすると、やはりここは唯一無二の空間だなと思えてくるのです。

早速チェックインに進みましょう。じつはもともと私の予約していた客室は、タワー館のスーペリアルーム。ここのところ、新しくできたラグジュアリーホテルを渡り歩いていたので、少し違った世界観のホテルに泊まってみたかったのです。それに偶然にも割安なレートが出ていたので、せっかくだから、と思って、ここを訪ねることを決めたのでした。

フロントのスタッフは背の高い男性。非常に丁寧な口調で手続きを進めていきます。ここでふと思い立って、以前ひとりで滞在したこのホテルの特別階インペリアルフロアに空室がないか聞いてきました。すっかりロビーの空間に魅せられて、やはり本館に泊まりたい、それもできれば、このホテルらしさを強く感じさせられる部屋を、と思ったからでした。フロントのスタッフはインペリアルフロアのスタンダードルームに空室があることと、僅かな差額でのアップグレードを提案。私はここでも、せっかくだから、と、その提案に乗ることにしました。

ふたりのベルスタッフにエスコートされて客室へ。荷物を持ってもらいながら、エレベーターホールに向かう僅かな時間に数多くのスタッフは、一様に足を止めて、深々とお辞儀をしながら、おかえりなさいませ、と大きな声で挨拶をしてくれます。この過剰なまでに慇懃な対応が、いかにもこのホテルらしいなと思います。

エレベーターホールにもボタンを押すためのスタッフ。そしてインペリアルフロアの入り口にいて、わざわざセキュリティドアを遠隔操作で開けてくれるアテンダント…ここまで「人を感じる」ホテルというのも珍しいと思います。ちなみにインペリアルフロアのエレベーターホールは、通常のフロアよりもさらに煌びやかな雰囲気が漂います。ゴールドとレッドという王道と言える色使いをそのままに引き受けているところに、このホテルの矜持を感じさせます。

インペリアルフロア・スタンダードダブル

チェックインから部屋に入るまでのあいだに、すでにこのホテルの魅力を感じる瞬間がたくさんありました。しかしインペリアルフロアの客室にもやはり魅せられます。

ラグジュアリーホテルを期待する人からみたら、おそらくこの部屋の第一印象は「狭い」ということになるかもしれません。しかし滞在してみると、広さはさほど重要ではないということに気づくことでしょう。ジュリアン・リードのデザインによるクラシカルなインテリア。メープルウッドのアーモアにブラウンのチェア。モダンな煌びやかさとは遠いのですが、どっしりと落ち着いた雰囲気。もちろん広ければその分のゆとりあるつくりにデザインするのかもしれませんが、個人的には、このホテルの風格と快適性が見事に凝縮された部屋だと思いました。

ベッドは「スリープワークス」という独自開発のもので、大きさもあり、硬さも絶妙で寝心地は良好です。また空気清浄機能が空調に装備されていたり、さりげなくBluetoothスピーカーやネスプレッソが置いてあるなど、高級ホテルの要件は十分に満たしていると言えましょう。

広さはさほどないし、トイレは独立してはいないのですが、機能的で快適であること、それはウェットエリアにも共通することです。壁からそのまま取り出せるティッシュペーパー。壁掛けのテレビ。十分な量のタオルにバスローブ。三面鏡や小椅子など痒い所に手が届く仕様になっていて、必要なものはすべてある…本当によく考えられていると感じました。

いわゆる空間に「色気」はないのですが、安心と信頼を感じさせるウェットエリアです。ホテルの客室での快適性を突き詰めていくと、もしかしたらこういう形になるのかもしれません。これはこれで素晴らしい魅力があります。

バスルームは独立式。椅子が用意されているほか、ハンドシャワーとオーバーヘッドシャワーが装備。水圧も強すぎず弱すぎずちょうど良い。また自動的湯張り装置もついているので便利です。このバスルームについても、色気はないものの機能的。快適に過ごせる工夫がみられて好ましいものです。おしゃれなホテルや、非日常的な空間を求める声には応えられないかもしれませんが、さりげなく、それでいてしっかりラグジュアリー。いろいろな高級ホテルがありますが、やはりこのあたりの絶妙な作り方は、このホテルの強い魅力となっているのではないでしょうか。

バスアメニティは「AYURA」が用意されています。ハーバルな香りがとても心地よく落ち着きます。アメニティのチョイスに至るまで、やはりここは帝国ホテルらしいと思わされます。

帝国ホテル、その歴史に思いを馳せる

1890年の開業から今年2020年は130周年目に当たるといいます。その長い歴史。開業当時の姿を実際に知る人はもういません。歴史あるクラシックホテルと異なり、ここ帝国ホテルには、長い歴史を直接に伝える建物も残っていません。しかしここには歴史的に蓄積された様々な息遣いが残されています。その音に少し耳を澄ませてみたい…そんな気がします。

1階のメインエントランスから入るとすぐ左手にあるのが、ランデブーラウンジ。昼も夜も様々な人が集い、いつも賑わっています。普段は奥の方はバーとして営業していますが、コロナウイルスの感染拡大の影響で、いまはラウンジが混雑しているときに入店待ちをする人のための待合席として使われています。少し明るい雰囲気のバーカウンターには独特の落ち着きがあり、普段はゆるやかな時間が流れているのでしょう。

いまのこの臨時待合室としての状況も、いつかは過去の話となって、このホテルの長い歴史に刻まれていくのでしょうか。

少し遅めのランチをこのラウンジで。懐かしい海老フライサンドイッチは安定した美味しさ。前に家族で一緒にときどき食べにきたりしたことも思い出します。海老フライの質の高さは言うまでもなく、ウスターソースの深みのある甘さと酸味、そしてシャキッとしたレタスやトマトの味、それにタルタルソースのまろやかさが絶妙です。じつは翌日も、今度はパートナーと一緒にここで同じサンドイッチを食べることにしたほどに好きです。

私が能天気にサンドイッチをほおばりながら過去の思い出に浸っていたら、隣の席の人たちはなにやら深刻な話。読書している初老の女性、子供2人を連れてきた夫婦、旧友再会…ホテルの歴史の長さやその信頼性や知名度の高さのせいか、多様な人がここには集まってきています。そしてこのロビーラウンジに交錯するのは、ゲストと同じ数の物語なのですね。

しばらくしてから部屋に戻って、再び今度はタワー館の方に向かいます。事前にインペリアルフロアのアテンダントにお願いして予約を入れてもらって、このホテルのプールへ。以前ひとりで滞在したとき以来、本当に久しぶりに来ました。

誰もいない空間に弦楽四重奏が流れています。天井まで覆うガラス窓の向こう側には汐留の高層ビル群…少し古いし、インペリアルフロアの客室同様に色気はないけれど、優雅な空気の流れるプールです。

笑顔の爽やかなスタッフが分厚いタオルとミネラルウォーターを持ってきてくれました。少しだけ泳いで、景色を眺めて…誰もいないプールを独り占め。プールサイドのデイベッドでうとうとしていたら、またこのホテルにまつわる記憶が蘇ってきました。

ひとりで泊まった日のこと。日比谷を歩いていて、急に泊まってみたくなって、予約を入れたのだった。仕事が溜まっていて、なんだか寒い日だったな…いまはまだ閉まっている「ラ・ブラスリー」でグラタンとシャリアピンステーキを食べて、ひとりで贅沢して、そのままベッドに雪崩れ込むようにして寝てしまったのだっけ。

夢ともうつつともとれないぼんやりした状態から醒めると、夕方近く。そろそろパートナーが合流する時間です。急いでシャワーを浴びて、身支度を整えたら、少し時間に余裕があったので周辺を散策しながら彼女を待っていました。今日もあの日のように季節の割に冷える日です。

彼女をエントランスに迎えにいき、そのまま客室に。最近ふたりで行ったホテルと全く違った世界観ですが、かなり好きな雰囲気と言ってもらって、嬉しさと安堵の気持ち。

インペリアルフロアでは18時から20時までのあいだにカクテルタイムがあり、アルコールにソフトドリンク、紅茶などを選べるようになっています。電話をすると速やかに着物姿のアテンダントが飲み物を届けてくれます。我々は赤ワインとぶどうジュースをお願いしました。

飲み物を軽く飲んだら、そのまま夕食へ。本当は他のレストランに行ってみたい気持ちもあったけれど、今日は最上階にあるインペリアルラウンジ・アクアに行くことにしました。パスタやサンドイッチと一緒に爽やかな飲み物を頂きましょう。

個人的にはここは帝国ホテルの中で最も景色のよい場所ではないかと思っています。その高さも見える範囲も過剰すぎないところに良さがあります。スタッフも丁寧さをまったく損わずに、とてもくだけた雰囲気で話しかけてくれて、リラックスした時間が過ごせました。この居心地の良さ。高級ホテルとは何かということを改めて考えさせられます。

今日はもう一軒付き合ってもらいました。このホテルの過去をいまに伝えるオールドインペリアルバー。階上のラウンジなどと比べても、ひときわ暗くてクラシカルな雰囲気が漂います。ここはかつてこのホテルの本館であったフランク・ロイド・ライトの世界観を残したオーセンティック・バー。ライトのデザインしたテラコッタが壁に残り、六角形をモティーフとしたデザインの椅子やランプなど、あらゆるところにこの近代建築の天才の息吹を感じます。

カウンター席に座って、燕尾服にオールバックのバーテンダーにお願いする、インペリアル70。つんとした刺激のあるカクテルですが、最終的に喉を通るときにはまろやか。スポットライトの光を反映させて輝く様子は、外光を徹底的に計算したフランク・ロイド・ライトの魔術的な空間を連想させるような気がしました。

客層は全般に高めで、浮ついた感じがありません。かといって排外的な感じは一切受けず、むしろゆったりと過ごせるのもまたこのバーの魅力と言えるでしょう。

このホテルを訪れた著名人の写真。そしてライトのデザインによるランプ。かれらの記憶と我々の記憶は違うけれど、この帝国ホテルという場で時間と意識を超えてつながっている。

祖父とふたりでこの店に足を運んだこともありました。あのとき私はまだお酒を飲むことはできなかったし、いまだって強くないけれど、なんだか懐かしいですね。今宵は彼女とふたりで一杯だけお酒を飲みました。

部屋に戻りましょう。そしていまはもう会うことすら叶わない先達に思いを馳せながら眠ることにしましょう。

涼しげな朝日が部屋に注ぎ込んで目覚めました。なだ万やレ・セゾンも魅力的ですが、今日はカジュアルにパークサイドダイナーで朝食を頂くことにしました。コースで頼むのも良いかもしれませんが、今回はシンプルにパンケーキとコーヒーだけ。

いまどきのパンケーキからみるとじつに面白みのない素朴なもの。しかしもっちりとしたパンケーキに優しい味わいのシロップと驚くほど清楚なミルククリーム。酸味を抑えて、苦味も後をひかないコーヒーがよく合います。色々なものをボリューム満点に食べられることもホテルの醍醐味なのですが、絶対的に美味しいものをじっくり味わい、一緒に食事する人と会話を楽しむ。食べる喜びの原点といえるかもしれません。

そろそろチェックアウトのとき。

130年の歴史に思いを馳せて…この帝国ホテルは、最新のラグジュアリーホテルとは違った魅力に満ち溢れていました。はっとする驚きや刺激的な体験には乏しいのですが、重厚で華やか、そして強い安心感がありました。泊まる前には正直なところ少し侮っていたのですが、やはり素晴らしいホテルです。圧倒的な非日常を求める声には応えないかもしれませんが、それでもここでは歴史に裏打ちされた上質な滞在が待っていることと思います。はじめて滞在する方はもちろん、むしろラグジュアリーホテルに慣れている方に泊まってみてもらいたい、そういうホテルのような気がしました。

すぐに戻ってくるかは分かりませんが、また色々なホテルを訪ねてみて、再びこのホテルに戻ってきて、この安心感と華やかさに触れたいと思うのです。それは20年先、つまりこのホテルが開業150周年を迎えるときでさえ、変わらずこの場所に存在し続けているに違いありません。

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