ひらまつ軽井沢御代田宿泊記 2021 高原にちらつく初雪が美しいから

木々が美しい紅に染まる軽井沢を友人と訪ねたのはもう何年前のことだろう…雲場池を取り囲む別荘地の落ち着きから、さらに浅間山方面の名前も知らない高原を散策したときに、それはまさに絶景という言葉がふさわしい美しさであり、2週間後くらいに今度はひとりで軽井沢を訪ねてしまったほどでした。しかしそのときには、もう紅葉はほとんど終わり、人もまばらだったことに加え、ひとりで滞在したこともあってとても切ない気持ちになってしまったものでした。カップルが2組いた以外には誰もいなかった夕食、窓の外の冷涼な空気に心まで冷えてしまいそうになった滞在。そのとき、山の景色の移り変わる早さを知り、また決してひとりでは軽井沢を訪ねることはしないと密かに誓ったのでした。

あれから数年を経て、同じように紅葉がほとんど終わってしまったこの時期に訪れた軽井沢の西。御代田町。美しい高原の景色に言葉を失い、静かな情感がクレッシェンドのように湧き上がってくる自分がいました。

日本でも有数の高原リゾート地である軽井沢。新幹線の駅でいえば佐久平駅の方が近い。それほど軽井沢という場所の持つニュアンスから離れた場所にできたばかりの新しいひらまつホテルズ。The Hiramatsu軽井沢御代田。森のグラン・オーベルジュを標榜するこの素敵なホテルをパートナーと共に訪ねてきたのでした。

朝早く東京を発って、早朝には碓氷峠を超えていました。じつは前々から訪ねてみたかった小諸の小高い場所にあるチーズ工房。そこで少し早めのランチをしてから、小布施の街並みを眺めたのちに、ホテルに向かいました。

ラウンジでチェックインを済ませて早速客室へ。浅間サンラインの風光明媚を眺めながらのドライブをしてきたとはいえ、客室の窓から見えるパノラマには驚嘆しました。八ヶ岳を望遠する佐久平の美しさ。枯れた木のもつ寂色と突き抜けるような冬の青空。信州の自然の美しさは伝聞をはるかにこえる素晴らしさでした。

思わずその風景に見惚れて客室への言及が遅くなったものの、ひらまつらしいグレージュの上品で落ち着いた雰囲気の広い客室。普段は別にコンパクトでも綺麗にまとまった部屋があればもうそれで十分と思っていながら、やはりこのゆとりは心地よいものです。

ベッドサイドの雰囲気も清楚な感じがしてよい。なぜか飾られている写真は駐車場。ル・コルビュジエの作品。ベッドの柔らかさはひらまつらしいフカフカ系ですが、ホールド感は申し分なく、ゆったりとくつろげそうなものでした。もうひとつ部屋の特徴として挙げておきたいのが冷蔵庫のソフトドリンクは自由に飲めること。そしてコーヒーミルとフィルターが置いてあるので、挽きたてのコーヒーを淹れられるということでしょう。バリスタの資格も持っている彼女。私はその指導を受けながら一生懸命にコーヒーを淹れます。豆を挽くのに時間がかかりますが、ふわりと芳る豆の香ばしさが心をときめかせます。ミネラルウォーターをあたためて、挽いた豆に注いで、山の稜線を眺めながら頂くことにしましょう…及第点はもらえるコーヒーを淹れられたはずです。
それにしても本当に素晴らしい景色。針葉樹の匂いがしてきます。空気が澄んでいる気がします。別荘地のある軽井沢とはまた違う趣のある風景。以前読んだ堀辰雄の「風立ちぬ」という短編。すっかり宮崎駿の映画で有名になりましたが、私はあの原作に出てくる自然の描写が美しくてそこにもっぱら心惹かれるという読後感を持ちました。その体験があって、あの美しさを軽井沢に求めようとしていたのですが、どこを探しても見つからなかったのでした。しばらくすっかり忘れていたのですが、この美しい山並みと肥沃なる佐久平。これだ。御代田だ。これこそあの作品に出てきた美しい風景なんだ。寂漠としたサナトリウムの日々と対照的なむなしいまでに美しい自然。小説が本当はどこの場所を思いながら書かれたのかの真偽は私にはわかりませんが、この景色なのだと自分の中では納得してしまっている。堀辰雄との思念上の再会に密かな感動を心に浮かべながら冷たい青空を眺めていました。
部屋のお風呂はひらまつではお馴染みの半露天風呂式の温泉。ここはお湯の温度調整も自動で行われていてさらに快適でした。夜の食事をしてからゆっくりつかろう。窓を開けて。冷たい空気が頭を冷やして、湯気で世界をゆがませて。もし空に雲がかかっていなければ星を眺められるだろうし、雲がかかっていても、それもまたよし…そんなことを考えていました。
コーヒーを飲みながらゆっくり談笑していると、だんだんと空の色が複雑なグラデーションを描くようになってきました。もう夕暮れも近い。西の空はからっと晴れているのですが、反対側には暑い雲。どうやら草津方面は雪が降っているらしい。そのためなのか、青空の下にいながら微細な雪がまじり、陽の光に反射してきらきらと空気が輝いていました。東京では見ることのできない冬のはじまりの景色。我々はもっとその空気感を感じるために外に行くことにしました。
ホテルの敷地内には料理に使うハーブを育てているガラスハウスがあり、反射する夕焼け空と同じ色になっていました。冬らしく枯れた木に囲まれて憂愁の美しさを際立たせていました。パートナーはなんだか日本じゃなくて北欧にでも来たみたいとつぶやいていましたが、まさに私も同じく、かつて眺めたノルウェーの小都市トロムソの郊外の道を歩いたときのことを思い出しました。
ホテルの庭園の一角に「たきびラウンジ」があります。テントを囲むように薪を燃やして暖を取っています。オレンジともピンクともつきがたい空の下に、黒い森のシルエットが浮かび、その下でゲストの楽しそうな声が聞こえます。我々もその声に誘われるようにテントの近くまで行ってみることにしました。
キッチンカーが停まっていて、とても明るいスタッフが笑顔で我々になにか温かいものはいかがですか?と声をかけてくれました。コーヒーやホットワインやハーブティーを淹れてくれます。寒い風が吹きすさぶなかで温かいものを飲むときの幸福感はなんともいえない良さがあります。我々は焚き火のそばに座りながらしばらく外の空気を楽しむことにしました。
我々が前からやってみたかったことがありました。焚き火でマシュマロを焼くことです。スタッフに鉄串に刺してもらって、いざ火の中へ。あっという間に黒く焦げつくのですが、その焦げ付いたほろ苦さととろける甘さがじつに美味しいのです。さっきもらったハーブティーと共に。風は冷たく口は熱い。なんということはないのですが、そのなにげない楽しさがあたたかくて良いものですね。
焚き火に当たっているとはいえ、背中はどうしても冬の風を受けて冷えてしまう。そこで私たちは奥にあった別棟に入りました。中にはスパとライブラリーそしてレコードプレーヤーの置かれた部屋。ウィーンフィル、カルロ・マリア・ジュリーニ指揮ベートーヴェンのピアノ協奏曲5番。ピアニストは私の大好きなミケランジェリ。ゲストは自由にレコードを聞くことができます。針を落としてじっくりとあたたかい部屋の中で聴くのはやはりいいものですね。音がキラキラしていました。そしてもうひとつ。ビル・エヴァンスの名盤「ポートレイト・イン・ジャズ」も。ふかふかのソファに腰掛けてなんだかうっとりした気分になってしまいました。
ミュージックルームでゆっくりしていて外に出ると、さっきよりも人もまばらなたきびラウンジ。美しい夜のはじまりの空に粒子の特に細かい粉雪が舞い始めました。シンプルなクリスマスツリーの光があたたかく見えます。憂愁という印象があった御代田の冬の夜はおもいがけず明るく賑やかに感じられたのでした。風に揺れて木が立てる音を聞きながらホテル棟まで歩きました。
ディナー前に部屋で少し温泉に浸かって体をあたためることにしました。粉雪で霞む佐久平の街の明かりがぼんやりとした光とみえました。まずはお湯のあたたかさを満喫して、それから窓を全開にして半露天風呂にする。檜の鉋屑で作ったリボンをお湯に浮かべて立ち上る落ち着く香りと、雪の降る森の針葉樹の冷たい香りが混ざり合った風情ある入浴となりました。
ディナーはオールデイダイニング。アラカルトで色々とシェアしました。信州サーモン。パテドカンパーニュ。ムール貝とかさご。そして鴨のコンフィ。私は鴨料理が大好きですが、ずっとコンフィとローストを混同して勘違いしていました。パートナーも同じく勘違いしていたようで、思いがけない一致に顔を見合わせて笑ってしまいました。得てしてこのようなシェアとなると私が料理の3分の2を頂くことになり、相当満腹になりながら部屋に戻ることにしました。
食後しばらく部屋で休んでから再び入る温泉。雪が次第にうっすらと積もりはじめているのがわかりました。明日の朝まで残るのかどうかわからない。でも思いがけず眺めることができた私にとっての今年の初雪の美しさには心奪われます。温泉を出て食べたくなるのがやはりアイスクリーム。八ヶ岳高原のミルクジェラートとリンゴのソルベ。どちらも抜群に美味しいのですが、特に感動したのはリンゴのソルベの方。驚くほど滑らかな舌触り、甘酸っぱさをしっかり残した自然な甘み。とてもシンプルなものなのに手を抜かない姿勢はさすがと思わざるを得ません。このホテルに再訪したい理由は数あるものの、このアイスクリームもそのひとつになるでしょう。
音にこそ聞こえないけれど、外は雪の降っている気配がある。あたたかいベッドの中に休む幸福。
朝早く目を覚ますと一面の白銀世界。夜の間に降った粉雪が木々やコテージの屋根に積もったのみならず、気温差のために霧が発生してじつに幻想的な朝となったのでした。前日には抜けるような青空の下にわずかに残った紅葉を眺めていたのに、この天気のコントラストのみせる美しさに驚くばかりです。洗顔を済ませて外を眺めるとなおさらに清白な風景が心を捉えました。これからもっと厳しい季節になっていくのでしょう。昨日みた浅間山の方に集積する雲の描き出す荒々しい景色を思い浮かべます。おそらく今日のこの美しい景色は秋から冬への過渡期だからこそ見られたものなのだと改めて思われたのでした。
真っ白ななかに薄青い木の陰影が見える中で朝食を。コク深い葡萄ジュースとあたたかい野菜のスープではじめて、もっちりとしたパンに地物のバターとアカシアの蜂蜜を合わせます。昨日の夜は比較的静かだったこのレストランも、朝の光のなかで食事を取るゲストでそれなりに賑わっていました。ときどき霧の間に太陽の光が差し込んできて、ぼんやりした明るさが見えてくる瞬間がありました。おそらく天気はこれからどんどん変わっていくのでしょう。
卵料理をいただいてから、最後のデザートにとれたてのぶどうを。3種類の大粒を食べ比べると、渋み、甘み、酸味、香りがそれぞれまったく違うものであるということがはっきり分かります。信州の野菜や果物の質の高さを感じる朝食をゆっくり頂いていて、ふと外を見ると、さっきまでの霧が晴れて、すっきりとした青空が見えていました。話に聞く「山の天気は変わりやすい」ということを実際に体験した気分になりました。さて食後には少し外を歩いてみよう。そういいながら席を立ちました。
部屋に戻って少し時間をおいたらもう空は快晴。太陽の光がひときわあたたかく感じられました。雪化粧をまとった木から雫が落ちてきていました。萌黄色の芝生に落ちた褐色の葉に砂糖をまぶしたような雪のなごり。澄んだとても冷たい空気が流れてくる庭園をゆっくり歩きます。ひと晩のあいだにこれほど空模様も地上の様子も変わるなんて。信州・御代田の自然の美しさ。その素晴らしさをこれまで知らずにいたのがなんとも勿体ない気持ちになります。
部屋のテラスでまたコーヒーを淹れてしばし空と陸を眺めます。気づいたらもう午前10時過ぎ。一服したらこの地を離れます。
バレーパーキングのスタッフはにこやかに我々を送り出してくれました。チェックアウトのときのあたたかい見送りもまたこのホテルの魅力といえましょう。快晴の浅間サンラインを抜けて、上信越道へと進んで東京へ。またひとつ素晴らしいホテルに出逢えた。都心に戻ってくる頃にはすでに頭の中にはこのホテルへの再訪の計画が芽生えていました。
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