どういうわけか誕生日が近づくとよくないことがおこる。ジンクスなど気にしなければいいのだけれど、数年来続くので、私は我ながらくだらないなと思いながらも、ついつい心にひっかかるものでした。それは恋愛に絡んだ問題が多かったのですが、誕生日の1週間前くらいにデートに誘って振られてしまった切ない片思いの年もあったし、誤解されたあげく烈火の如く怒られてずっと口を聞いてもらえないで過ごした年もありました。またある年にはかつて交際していた人からストーカー被害に遭い、恐怖に震えて過ごしたこともあったり…いまここで多くは語りませんが、色々なことがありました。
振り返ってみると、幼い頃に家族みんな揃って過ごしていた時期が懐かしい。あのときは大叔父が買ってきてくれたホテルニューグランドのバタークリームケーキを分け合って食べて、ささやかなプレゼントをもらって、それが嬉しかったものでした。
しかし大人になってからというもの、誕生日はそんなに特別な気分で過ごす日ではなくなりました。そもそも家族が全員揃うということも少なくなったし、恋愛関係でもどういうわけかうまくいかない。ただ淡々とやりすごすことでジンクスを打破できたらそれでいい。今年こそはそうしよう、と心に決めていました…
私は今年の誕生日を迎えました。しかし、パートナーと一緒にフォーシーズンズホテル東京大手町の客室で。
以前このホテルに滞在したときにも書いたように、私はフォーシーズンズホテルが好きです。そして新しくできたこのホテルについても非常に素晴らしい滞在ができたと思っていました。
私の最初のホテルステイがどこだったのかを明確に思い返すことはできませんが、はじめて世界レベルのラグジュアリーホテルを体験した日のことは、もちろん覚えています。それはフォーシーズンズホテル・シンガポール。 もともとホテル好きではあったけ[…]
彼女もそのときのことを覚えていて、数週間前に、誕生日はここに泊まりましょう、と言って予約を入れてくれたのでした。またせっかくだからと、前の滞在のときに行けなかったフランス料理の「EST」の席も同時に取ってくれていたようです。じつは私はそのことを知ったときに、とても嬉しく思うと同時に、例年のジンクスのせいか妙に不安な気分になりました。しかし今年こそは大丈夫かもしれないという期待もどこかにあり、そのまま当日を迎えました…
その日は昼前に待ち合わせて、六本木で軽いランチをしてからホテルに向かおうということになっていました。普段は私がお店に予約を入れることが比較的多いのですが、今回は、先んじてパートナーから「明日のランチ予約しちゃった」とメッセージをもらっていました。
当日の朝、目が覚めると、彼女から誕生日を祝うメッセージがあり、あたたかい気持ちになりました。しかしこんな気持ちにしてもらって、あとでどんでん返しが来ないかと心配になる自分の姿に気づいて、妙な情けなさを覚えたりもしました。
パートナーの家まで車で迎えに行くと、すぐに出てきた彼女はカジュアルなブラックトーンの服に、私と一緒に買いにいったブレスレットを身につけていて、車に乗り込むと笑顔で「お誕生日おめでとう」…その声の優しさにさっきまでの情けない心配がどこかに退いたような気がしました。
彼女が予約してくれたお店は雰囲気が良いけれどカジュアルなレストランでした。秋の日差しが差し込む窓の大きな店には女性グループが多くて賑やか。我々はどこか呑気な会話を楽しんでいました。
サラダとパンだけだと少し物足りないね、そういって彼女がデザートを注文して、ほどなくすると、どういうわけかロウソク付きのプレートが運ばれてきました。プレートには「Happy Birthday」の文字。このカジュアルなランチでも彼女は私にサプライズの演出を用意してくれていたのでした。これには私はすっかり驚いてしまって、適切な言葉がなぜか出てきません。まさかこんなところでまで特別な気持ちにさせてくれようとしていたのか…これまでにこういう種類の優しさをかけられたことがなかったので、どういう言葉で喜びを表現していいのか分からなかったのです。
それからホテルにチェックイン。今日は手続きもすべてパートナーが行います。人生で初めて彼女の名前で予約しているホテルに滞在する。私は手持ち無沙汰でロビーを見回していました。
不思議な気分…夕暮れのバー「ヴェルテュ」から東京の夜景を見渡していました。
恋愛において、相手に甘えてはいけない。実践できていたかはともかくとして、心理的にはいつもそういう思いでいた私にとって、宿泊の手配もレストランの予約もすべて彼女に委ねているのは、なんだか宙に浮いているような気分でした。
前にちょっとしたことでお互いの気持ちがすれ違ってしまったときにも、彼女は「もっと私の嫌なところを言って欲しい」と私に言ってくれたのでした。相手に甘えること…、一歩間違えれば、依存になってしまうけれど、それは信頼と表裏一体になっていて、相手に自らを委ねることは必ずしも悪いことではないのかもしれません。
夕食を前にしてワンピースに着替えた彼女は涼しい顔でカクテルを飲んでいました。