ザ・プリンスパークタワー宿泊記・妹の結婚式前夜に

それはもう一昨年の冬くらいのことでしょうか。母が少し寂しそうな表情で妹が結婚するという話を私にしたのでした。結婚はめでたいのだし、本人たちを喜ばしい気持ちで送り出すもの…確かに。しかし世間一般がどれほどそのように言ったとしても、やはり親心というのは、そんな簡単に割り切れるものはないのでしょう。

私の母は必ずしも子どもたちを溺愛するようなことはないし、外向的で常に外に出かけていたいし、休日でも仕事をするような人でした。だから我々は自由に放任されていることも多かったものでした。しかしそれでも妹が実家を出ていくときには、からっぽになった部屋を眺めて、寂しさゆえに涙を流していました。その涙は、親子という慣れ親しんだ関係が、また新しい関係へと移っていくことへの違和感や切なさにつながっていたのかもしれません。

妹は夫以外の男性と交際したことはなく、10年ほどの恋愛期間を経た後での結婚でした。私からみると、とても淡々としているふたりですが、どういう経緯で結婚しようという決断をしたのかはついぞ分からないままでした。

恋人同士から、夫婦という形へ。しかしそれは法律で決められた「入籍」というもの以上のなにかのような気がしました。

先日、その妹の結婚式に参加するために、東京の芝公園に位置するザ・プリンス・パークタワーに前泊しました。ときをほぼ同じくして元妻との婚姻関係にピリオドを打った私は、結婚や関係ということについて、あれこれと考えをめぐらしていました。

私は実家に立ち寄って家族をピックアップし、そのままホテルにチェックイン。これまで何度となくこのホテルにも足を運んでいますが、改めて宿泊するとなると、また気分も違って感じるものです。いや、あるいは、それは妹の結婚式の前泊で、家族が久々に全員揃ったことによる高揚感なのかもしれません。

チェックインを済ませたのは夜の19時を過ぎたくらいでした。すでに外は暗くなっていて、港区の高層ビルの灯りが部屋にこぼれていました。今日は久々に弟と泊まります。

パステルグリーンのベッドボードが全体の色合いにアクセントを加えますが、明るい白木の壁やグレーのカーペットなど、全体に明るい雰囲気。この明るさはプリンスホテルらしいところだと個人的には思います。フルハイトの窓は開けることができて、外は狭いながらもバルコニーになっています。

ブロワバスが備えられたバスルームも全体的に明るいトーン。やや水回りに古さや素っ気なさを感じさせられましたが、それでも十分に快適な使用には堪えるものです。なおバスタブについているシャワーは、清掃用と書いてありました。しかし弟はすっかり勘違いしていて、体も頭も洗ってからそのことに気づいたようです。大丈夫、問題ない、と爆笑。

週末だったこともあって、東京タワーは特別なライトアップ。すでにパークタワーの中に入っているテナントはすべて閉まっていて、広いロビーエリアはすっかり静かになっていました。夜にこのホテルの地下にあるレストランで久々に家族揃って夕食を取りました。新郎は持ち込んだ仕事があるらしく、妹だけ部屋を抜け出してきて我々に合流。あまり緊張は感じられませんでした。

このときは何気ない昔話などをしながら、ときに笑いが混じる、気楽な時間を過ごしたのでした。

父が我々が小さい頃の映像をタブレットに持ってきていて、皆で眺める…ふと、母が、こうしてみると、泣きたくなるくらいに懐かしいね、と一言つぶやきました。私も妹と弟も、一様に肯いていました。

食事も終わり、それぞれの部屋に戻りました。ベランダに出ると少し湿り気のある秋の夜の風。浮ついたような不思議な気持ちでなかなか寝付けません。

それなりに年の差がある弟と、いつのまにか、結婚や恋愛の話をできるようになっていた。そのことに今夜はじめて気付きました。そして妹の結婚の話をしているうちに気づいたら私の近況の話も。このとき、思いがけずして、ささやかながらも、これまで小さく見えていた弟との新しい関係が築かれたような気がしました。

長いこと話していて、ベッドに入ったのは夜もかなり更けた頃でした。しかしもうほとんど朝に近い4時くらいに突然枕元に置いていた電話が鳴りました。驚いて電話に出ると、妹の心細そうな「眠れない」という声。

父でもなく母でもなく、なぜかその宛先が私であったのは、普段からすると意外とも思えるものでした。とりあえず落ち着いてと声をかけて、妹は別の階に泊まっていたこともあり、1階のエレベーターホールで会うことにしました。ホテルのスタッフしかいないアトリウムの静けさが妙に心に残っています。

深呼吸させて、ほんの一言、大丈夫だよ、と声をかけました。

正直なところ他に言葉が思いつかなかったのです。でもそれからしばらくして、少し安心したような表情で、部屋に戻っていく姿をみて、なんだか大丈夫な気がしました。少し大袈裟かもしれませんが、同じ時を生きてきた家族という枠の中で、兄としての最後の役割を果たしたような気持ちで見送りました。

翌日。妹は緊張していたものの、あたたかい結婚式でした。

入籍したときよりも、家を出て行った日よりも、ふたりは結婚したのだという実感が湧いてきました。このときおそらく両親も、弟も、そして私も、妹との間に新しい関係を築いていくことの感覚を強く持ったように思います。人は慣れ親しんだ関係に安住したがるもので、変わっていくことに身構えるものです。しかし変化は必ずしも怖いことではありません。相手も自分も変わってしまうわけではない…むしろ関係が付け足されていくものなんだ、このときは自然とそう考えられたのです。

両親もそのことを受け入れているようでした。変化を恐れることなく、自分が正しいと思う、そのままに。寂しいと思う気持ちはあるようですが、同時に、新しい関係をこれからも付け加えていくのでしょう。

妹が夫との新しい関係を「付け足すこと」を祝う式で、私は幸運を願いながら、翻って自分のことも考えたのでした。妹や弟に対しては、これまでよりも、もっとひとりの個人として、向き合ってみたいと思いました。そしてもうひとつ。離婚以来すっかり関係を深めていくことを恐れるようになった自分を、もっとパートナーに対して開いてみたいと思うようになりました。

相手に対して真剣になればなるほど、自分が自分でなくなってしまう。そんなときにこそ、むしろ自分のままに、思いのままに…本当に自分が大切だと思って育む関係ならば、自分のままにぶつかっていけば、おのずと強く自分に反響してくるはずだ。結婚式で妹に対して送った言葉は、そのまま自分に対しても向けていたのです。

朝方には雨の混じっていた曇り空に、昼過ぎには太陽が注いでいました。そんな人生であったらいいな、と思いました。

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