マンダリンオリエンタル東京宿泊記・2020年12月、光の降り注いだ滞在。

おそらく世間一般からみたら、我々のデートはかなり特殊と言えましょう。なにしろ、その半分以上は、ホテルで過ごしているのですから。出張や旅行に絡めた滞在もあれば、純粋にホテルライフを楽しむためだけに部屋を押さえたこともありました。思い返せば、静かにキャピトルホテル東急のORIGAMIでパーコー麺を啜っていた年末。それからホテルで幾夜も孤独で自由な時間を過ごしていましたが、パートナーと出逢ってからは、ときには苦い時間もありながら、素晴らしい宿泊を分かち合ってきたのでした。

そんな私たちですが、あえて、このホテルには泊まってきませんでした。

マンダリンオリエンタル東京。2020年の12月でもう開業15周年になる日本橋のラグジュアリーホテル。個人的にも色々な思い出のあるホテルですが、彼女にとってもある特別な意味を持つホテルでした。

どうしてこのホテルにずっと来なかったのか。

そう問われたならば、我々がはじめて出逢ったときのことについて触れておく必要がありますが、それはもう少し後で語ることにしましょう。まずは久々に訪れたこのホテルの印象を思い起こします。

チェックイン&客室の印象について

私は開業のときからこのホテルが好きでよく足を運んできたのですが、もう1年以上このホテルに泊まらずにいました。今日はパートナーと共に設けた「ある区切り」の日であり、お互いに、複雑な記憶を投じたこのホテルを訪ねることにしたのでした。

バレーパーキングでエントランスへ。

外を流れる水の音、日本橋の喧騒。対照的に静かなロビーには、今日も甘い花の香りが漂っていました。

ようやくここに来られたね。どちらからともなくそんな言葉を交わしました。

エレベーターで最上階まで来ると、全体にエキゾチックな和の趣があります。特に風変わりでもなく、あえてシンプルでありながら正統派の落ち着きがあるロビーの雰囲気は、この日本橋という土地の気風にもよく合いますね。

クリスマスの飾り付けも本当にさりげないものです。ホテルの世界観を崩さないという強い姿勢を感じます。

チェックインに進みます。そつなくこなすスタッフ。心温まるような対応というよりはクールな感じがしました。

15年以上前、どういうわけか、ペニンシュラバンコクに滞在することにはまっていた私は、結構な頻度でバンコクを訪れ、チャオプラヤの河畔に佇む名だたるラグジュアリーホテルに足を運びました。そのなかでも、対岸にあるマンダリンオリエンタル・バンコク(かつては単にThe Oriental Bangkokでした)はレストランの質も高く、また圧倒的な存在感を放っていたことを思い起こします。

それが東京にも開業すると分かったときの喜びは強く印象に残っています。はじめてここに足を踏み入れたときに、オリエンタルの世界観を持った和の雰囲気に驚きました。そして今はイタリア料理になっている「ケシキ」では、当時、タイ料理やシンガポール料理などを食べることができて、本当に素晴らしいホテルが完成したものだと感激したものです。

2011年3月11日の地震が東京に到達したときも私はこの場所で食事していました。それほどまでに頻繁に通い、気に入っているホテルのひとつだったのです。

カードキーをもらったらさっそく客室に向かうことにしましょう。

このホテルの客室の好きなところは色々あります。その魅力のひとつひとつを味わうように部屋の中を眺めていました。

今日はデラックスプレミアルームという客室タイプ。眺望を遮るような高い建物があまりない東向きの部屋で、東京スカイツリーがよく見えます。インテリアはベージュが基本になっているなかで、日本の伝統工芸を思わせるような調度品が設られており、ところどころにビビットなオレンジのアクセントが加わっています。

ベッドもとても柔らかくて、寝心地が良い。ラグジュアリーホテルに備えておいてほしいものはほとんど揃っています。

ウェットエリアの手前には簾のようなウッドブラインドがあり、閉じてあれば日本的な空間の演出となり、また開くことで開放的に見せることもできます。真っ黒な石材のベイシンやダークブラウンの木材が、どこかリゾートを思わせるような雰囲気を醸し出していました。

楕円形のバスルームに開放的なシャワーエリア。ここもまたリゾートを強く感じさせられる場所です。日本橋というある意味で最も東京らしい賑わいをもつ場所にあって、どこかそうした地域的な脈絡から切り離されて、浮世離れしたような気分になれる。それもまたラグジュアリーホテルの持つ魅力のひとつだと思うのです。

バスアメニティは「ボッテガヴェネタ」が用意されています。ラグジュアリーで濃密な香りに包まれて、部屋の大きな窓から夜景を見下ろすときの心地よさ…この日もデイベッドからはクリスマスの迫るスカイツリーの華やかな光がよく見えました。

切ない思い出をあたたかな記憶へと…ホテルで過ごす

まだ夕食まで時間があるので、少しマンダリンバーでお茶でもすることにしましょう。

水上に浮いているようなシートでいただくのは、爽やかに甘いライチベースのモクテルと、スパイスをしっかりしたシナモンでかき混ぜるチャイ。奇跡的に曇り空に一瞬だけ青空が広がり、その青い隙間が徐々に真っ赤な夕焼けへと変化していく様子を見ることができました。ほどなくして、私の頭の中には、我々が出逢った日のことが蘇ってきました。

あの日は六本木の大好きな店でグリル料理を食べていました。前の妻との別れを経験して、もう結婚とか恋愛などに煩わされることのないように軽やかに生きよう、そう思いながら、傍に座っていた今のパートナーと会話を交わしていたのです。

妙に色々な共通点のある人でした。そのひとつひとつをここでは取り上げませんが、私はこの人に次第に強い共感を覚えはじめていました。

食事をはじめて、1時間ほど経った頃でしょうか…私は自然と去年から今までの経緯について話していました。すると驚くことに、彼女もほぼ同じくらいの時期に前の夫と不和が生じて、最終的に離婚したことを話してくれました。さらに驚いたことには、結婚式の場所まで同じだったのです。

彼女はうつむきながら、その会場の名前を私に言いました。

そう、それこそが、マンダリンオリエンタル東京。

しかもまったく同じ会場。

そのとき思わず互いに顔を見合わせて声をあげて笑ってしまいました。しかしここがお互いにとって複雑な感情を投影するホテルとなっていたことも事実。私はそのとき、もし運命が我々を結びつけることがあるならば、いつかふたりでマンダリンオリエンタルに泊まりにいってみたい…そう強く願ったのでした。

果たせるかな、その願いは、ふたりが出逢った日から半年を経て、こうして現実のものとなったのでした。

日が暮れて、広東料理の「センス」でディナーを。美食の数々の向こう側には下町の夜景がきらきら輝いていました。彼女と交際をはじめてからというもの、ふたりの話題の中には常にホテルのことがありました。東京には色々なラグジュアリーホテルがある。でもマンダリンオリエンタルに行くのは特別な節目のときと決めていたのです。

過去を飲み下すことはそう簡単ではありません。そして、意識的にしろ無意識的にしろ、誰かと過ごした記憶のある場所に別の誰かと足を踏み入れるときは、そのかつての記憶と現在の体験とがぶつかりあうものだと思うのです。彼女にとっては元夫、そして私にとっては元妻。その記憶を良い意味で相対化できたときに、はじめて、その場所に新しい記憶を紡いでいけるものなのでしょう。

交際してから、ときには、ぎくしゃくしたり、もどかしい思いをしたこともありましたが、それをはるかに上回るほどの、豊かで美しい時間を過ごすことができた。私はいまそう思っています。そして彼女もそうであったならば、と密かに願っています。

少なくとも言えることは、私は、過去の記憶を心の底に静かに沈めながら、いまふたりで食事しているこの時間を慈しむことができたということです。

私は彼女にもともと用意していたプレゼントと花束を贈りました。すると彼女もサプライズで私がずっと気になっていたものをプレゼントしてくれました。その優しさと心意気に胸を打たれて、心にあたたかい情感が込み上げてきました。

バラの花は私からの気持ち。明るいオレンジの花は彼女に対するイメージ。

もっと早くこの人と出逢っていたら、どうだったのだろう?そんなことを想像してみたくなることがあります。

私はここで結婚式を挙げた日の彼女のドレス姿を実際にこの目で見ることは叶わなかった。それより前の、友人や家族やあるいは元恋人といった人たちと過ごした日々…それを話の上でしか知ることができない。

過去に帰ることはどうしてもできない。

私たちはなにがあっても「いまを生きる」しかないのですね。

朝が訪れて、今日もまた新しい1日を迎えることができました。

私は今のそのままの彼女が好きです。過去に戻ることはできませんが、そうした過去があって、こうしていまがある。それは私にとっても同じことです。

この先に何が待っているかは分からないし、人の関係の脆さや儚さについては、分かっているつもりです。でも、願わくば、未来から振り返ったときに、この日のことも、連続する優しい時間の大事な一片となってほしいと思わずにはいられません。

こうして我々は、このホテルに宿るお互いの切ない思い出を、あたたかな記憶で上書きしてきました。

冬の夕焼け空の東京の街がひときわ美しく見えました。

またいつかここに来ましょう。

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