志摩観光ホテル宿泊記・静かな英虞湾を望むSLHで過ごすひととき

近鉄名古屋駅ほど旅情を誘う日本のターミナル駅はそうそうありません。

路線図を見通すと、大阪方面や奈良、京都、そして伊勢志摩方面の地名が広がっています。1時間に何度もやってくる様々な種類の特急列車を眺め、ここではないどこかに遠くいざなわれるような気持ちになりながら、ホームを歩いていると聞こえてくる物寂しいメロディ…イヴァノヴィチのドナウ川のさざなみ。

ブザー音のあとに、プシューという音を立てて列車が出ていきます。その傍で駅弁を買ったら、今日の列車に乗り込みます。賢島行きのツートンカラーの特急。聞き覚えのある三重県の駅にところどころ泊まりながら列車は終点の賢島へ。

志摩観光ホテルがSLHと提携したハイアット宿泊の対象となったのを知ったのは、たしか去年の秋頃だったような気がします。もともと訪ねてみたいと思っていたホテルだったのですが、そういう状況も重なって、予約が取れたらふたりで行きたいとパートナーと話し合っていたのでした。偶然にも2021年のはじめに空室を見つけてすぐに予約して、今回の滞在となったのでした。

チェックイン

狭いホームを歩き、改札を抜けると志摩観光ホテルのスタッフが待機していました。少しだけ訛りのあるあたたかい歓迎の言葉を我々にかけて、送迎の車へと案内してくれました。

快晴の青空の坂道を登ると、すぐにホテルの入り口にたどり着きます。右手にザ・クラシック、左手にザ・クラブとこのホテルの歴史を物語る建物を見ながら、進んでいくと、今日の滞在先であるザ・ベイスイートのエントランスに至ります。

随所にさりげない正月飾りが施されたエントランスを抜けると、光の差し込むロビーラウンジがあり、ここでチェックインの手続きを進めます。フルハイトウインドウとウッドパネルがモダンな雰囲気を醸し出しているけれど、黒い石の床がなんとなく日本の漁港にある宿のような懐かしいあたたかさを感じさせます。

スーペリアスイートルーム

ルイボスティーを頂いたあとで、部屋までエスコートしてもらいます。

今回の部屋はテラス付きのスーペリアスイート。扉を開けるとぱっと広い客室とその向こうに見える海の景色に嘆声が漏れます。インテリアコードも全体的にモダンで、とても過ごしやすい雰囲気ですね。パートナーが喜んでいる様子も見て取れて、私もさらに嬉しい気持ちになりました。

リビングルームの手前側にベッドルームがあり、両方の部屋は引き戸で仕切ることができるようになっています。間接照明を多用したとても落ち着く雰囲気の部屋です。

壁にかけられたパッチワークのような絵は一体何を表現しているのだろう?賢島の景色や伝統的な紋様か…?そんなことを話していた記憶があります。

個人的に私がこの客室で最も特徴的だと思ったのがビューバスです。絵画のように美しいリアス式海岸の英虞湾を眺める独立式のバスルーム。そしてウェットエリアからもこの絶景を眺められるようになっています。レインシャワーやハンドシャワーの設備や水圧の充実はもちろんのこと、自動でお湯をはるためのタイマーもついている…これ以上望むことのないバスルームと言えるのではないでしょうか。なおベイシンがダブルシンクなのも使い勝手がよく、アメニティが充実していたことも特筆すべきでしょう。

バスアメニティはクラランスでした。ジンセンのシャンプーとシャワージェル。そしてシアバターのヘアコンディショナー。洗い上がりの質感も香りもとてもよく感じました。そういえばこのホテルにはクラランスのスパも併設されています。今回は行きませんでしたが、いつか機会があれば行ってみたいものです。

ラウンジをはしごする

到着したのがまだ午後の早い時間だったこともあって、我々はこのホテルのラウンジでしばしゆったり過ごすことにしました。志摩観光ホテルには「ザ・ベイスイート」と「ザ・クラシック」というふたつの宿泊棟がありますが、両方にラウンジがあり、ゲストはどちらも利用できるようになっています。

我々はまず泊まっている「ベイスイート」の方のラウンジに向かうべく、エレベーターで最上階に。時勢を反映しているのか誰もいません。大きな窓の向こうには、冬の少しくたびれたような木々と、湾内の海面に太陽が反射して、光がきらきらと表情を変える様子が見えました。

ラウンジにはワインや三重県の地酒、ソフトドリンクの他に地酒が用意されていました。知っている方も多いと思いますが、このホテルは2016年のG7伊勢志摩サミットの開催場所でした。ザ・ベイスイートのラウンジからはこの建物の屋上に出られるようになっていますが、そこが各国の首脳が記念撮影を行った場所でした。この日は午後の日差しのなかで冬の海風が吹いていましたが、そのときのことに少しだけ思いを馳せました(…そしてパートナーとふたりで首脳を模して記念撮影をしてみたりもしました)

しばらくこのラウンジで談笑してから、せっかくだから、と「クラシック」のラウンジにも足を伸ばしてみることにしました。

遊歩道を少しだけ通って、このホテルの開業当時からの施設である「ザ・クラブ」へ。1951年にこのホテルが開業した当時の意匠をとどめた建物であり、名建築家・村野藤吾の設計(これから向かう「ザ・クラシック」も)です。村野は90歳を超えても精力的に活動を続けましたが、日本のホテル建築にもたくさんの傑作を残しています。以前に私は村野藤吾と「ザ・プリンス箱根」について書いたことがありましたが、このホテルにも共通する彼のエッセンスを感じさせられる要素がたくさんありました。

緩やかな階段を抜けた先にある高い天井、柔らかい印象を持つ光の取り入れ方…パートナーと一緒にそのひとつひとつを鑑賞してまわりました。

サミットで使われたであろう円卓が収まっていて、その奥には作家・山崎豊子が使った机も置かれていました。どんなホテルにも滞在する人のストーリーが宿るものと私は信じていますが、切り取られた著名人のストーリーをこうして追体験することで、さらにこのホテルの魅力に触れたような気がしました。

山崎豊子氏はいつも必ず決まった客室に泊まっていたといいますが、その気持ちもわかる気がします。私もあるホテルに対して愛着が湧いてくると、次には「このホテルのこの部屋が好き」という想いを持ちます。こうして決まって部屋に何度も泊まるうちに、段々とそのときの想いや記憶を重ねながら、いまをみつめる、特別な場所へとなっていくのでしょう。

真珠のアクセサリーなどのウインドウショッピングをしながら、ゆっくりと「ザ・クラシック」の方のラウンジに辿り着きました。ここで私はパイナップルジュースを飲みながら、パートナーとふたり、徐々に黄昏色に染まっていく英虞湾と遠くに見える熊野の山々を眺めていました。時折、漁船や観光船がリアス海岸を航行していく様子が見えて、じつに平和な光景に思えたのでした。

随分と遠くに来たような気がする…心になんとなく湧いたメランコリーな気分をさりげなくパートナーに伝えました。彼女は穏やかな表情で海を眺めていました。

夕暮れと一緒に…

本格的に日没の時間が近づいてきたので、我々は部屋に戻ることにしました。

あの有名な「華麗なる一族」の冒頭文そのままの夕暮れを眺めていました。

英虞湾に沈む太陽を私はちょっと切ない気持ちで見ていたのです。それはずっと変わらない静かな海を前に、我々の時間が経ってしまうことの早さを思い知らされるからでしょうか?

彼女と一緒に過ごす時間、もう少し敷衍すれば、自分が「生きている」時間。そのことの脆さと尊さを感じます。

ディナーはクラシカルなフランス料理を。このホテルの伝統である「海の幸フランス料理」のコースを頂くことにしました。シンプルに素材を生かした料理の数々を頂くことができました。車海老や伊勢真鯛を使ったジュレ、そして伊勢海老のクリームスープや肉厚な黒鮑のステーキと続いていきます。

英虞湾の朝を迎えて…

美味しいものを食べていると、あのメランコリーなムードはどこかへと雲散していきました。満たされた気分で部屋まで戻り、夜空を眺めるバスタイム。そして静かな海の気配を感じながら眠ってしまいましょう。

日の出と共に目が覚めました。空が少しずつ明るくなってきて群青色に染まるさまを部屋のバルコニーから眺めていました。ほのかな潮風の匂いが運ばれてきて、ひんやりとした空気にぱっと目が覚めます。身支度を整えてから朝食に向かいます。

最上階のラウンジに隣接しているラ・メール。ブルーがアクセントとなっている現代的だけどクラシカルなインテリア。窓からは客室と同じくリアス式海岸を見渡せるようになっています。

最後の最後まで和食にするか洋食にするか迷っていたけれど、やはり事前に聞いた「海の幸オムレツ」の誘惑に抗えず、こちらに来たのでした。昨晩の「クラシック」同様に、素材を生かした味付け。ふたりで同じものを堪能しながら、段々と明るくなってくる英虞湾の景色を眺めていました。

電車の時間まではしばらくあるので、パートナーと手を取りながら、ホテルの敷地を散歩しました。朝は薄青の雲が見えていましたが、いまは清々しい淡青の空。冬の芝生の庭に大きな椰子が生えていて、その向こうに赤い瓦屋根の「ザ・クラブ」の建物。こういう優雅な時間があるのですね…都会のホテルで感じる優雅さとも違う、穏やかに時間が流れていくあたたかい感覚。きっと日々の暮らして悶々としたときに、こういうところを訪ねてきたら、心が豊かな気分になるのではないか。そんなことがふと頭のなかに浮かんできたのでした。

季節が変われば、またこの空気感も変わるのかもしれない。あるいは変わらないのかもしれない。次にいつ来れるかはまだわからないけれど、必ずまたここを訪ねたい。パートナーと確かめ合いながら、このホテルをあとにしました。

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