まるで旅するように生きてきた5年間でした。なぜでしょう。5年前の10月21日。私の誕生日。その日のことを思い出すと、なんだかたまらなくなつかしい気持ちがします。
5年前の今日この「夜間飛行の見聞録」も誕生しました。じつはこのブログよりも前に「はてなブログ」に投稿していた時代もあるのですが、その時代を知っている方はもはやかなりレアでしょう。過去のことをふりかえるとき、私はいつも、光陰矢の如し、という心境になりますが、今回もまたそういう気持ちになります。ひとつだけ言えるのは、そんなあっという間に過ぎていった5年のあいだにも、たくさんの出会いと別れがあって、私の場合にはその記憶のひとつひとつが濃密にホテルという空間に結びついているということです。
こうしてブログにホテルステイの記録を残しておくことの意義は、片隅へと追いやられているそんな記憶を鮮明に思い出すときの手がかりになるということです。しばしば、写真や文字になんか残さなくていいから心にとどめておくべし、と訳知り顔で旅のロマンを語る人がいるかもしれません。しかし私は文字や写真に残しておくからこそ想起される記憶があり、またその記憶からさらに発展してなにかしらの示唆を得られるということを、経験を通じて知るに至ったのです。私にとってそれはまさにこの「夜間飛行の見聞録」を書き、読み、そして同時に、読まれることで生み出される「つながり」を通じて、それを知ったのでした。それはこのブログを始めた当時思っていた以上にとても豊かなものなのです。
さて…最初から抽象的な話をしてしまいました。しかし、私のブログをいつも読んでくださる方はきっと「またあっぴがいつもの調子で話している」と思ってくれることでしょう。笑
今日は5年前に遡りながら、私のなかで思い入れの深い記事について、振り返りながら、想起されるいまの想いについて綴ってみたいと思います。よろしければお付き合いください。
【TAKE OFF!】
http://yakan-hikou.com/take-off/
このブログの最初の記事は飛行機の画像からはじまっています。当初は私の好きな3要素全て揃えて乗り物とグルメとホテルについて書きたいと思っていたのです。その後にホテル中心のブログへと変わっていくのですが、もちろんあとのふたつも大好きで、乗り物を駆使した空の旅や大地の旅や海の旅を楽しみますし、行く先々の特産や身近な場所の美食も味わいます。でも、私の場合は、それが行き着く先にやはりホテルがある気がしています。
【ホテルオークラ旧本館の思い出】
2本目の記事はやはりホテルについてのものでした。しかし「いまある」ホテルではなくて、すでにこのときには「なくなってしまった」ホテルについて書いているところがちょっとしたこだわり。わたしの大好きだったホテルオークラ旧本館の思い出です。じつはあの建物でわたしが一番好きだったのは、新本館The Okura Tokyoにも意匠が引き継がれた有名なロビーではなく、宴会場の入り口の質素でありながら、さりげない華やかさがそこにある独特の雰囲気なのでした。記事の内容はいまからみれば、随分とあっさり書かれていますが、ホテルについて書きたいものの指向性はこの頃からあったと思うのです。
【羽田空港のどこで前泊する?】
お恥ずかしながら、2018年の段階ではまだ「ブログらしさ」をどこに求めるのか、模索していた時期でもありました。情報としての価値がどこにあるのか、当てもなく探していたような気もします。詳しい方からみたらまったく内容に乏しいマイレージプログラムの話やホテルのロイヤルティプログラムの話などをがんばって書いてみていた時期でもあります(スタイルの定まらなさがなんとなく恥ずかしく、読み返すと、正直言って、なんともいたたまれない気持ちになったりもします)。そうしたなかで思いついたのが、似たような条件で比較すると、宿泊記としては面白いのではないか、ということ。でも、ほとんど反響が得られなかったことを考えてみれば、これは失敗だったのでしょう。でも、よくよく考えてみれば、失敗でも成功でもどっちでもよくて、なんか似たような条件で泊まってみるのも楽しいものだな、とこれはこれで楽しんでいた気がします。
【ザ・プリンス箱根と村野藤吾建築】
年を明けて2019年。はじめて自分の書きたいものを書いた満足感を覚えた記事。建築好きな方から少しだけコメントをもらえてとても嬉しかった記憶があります。これ、じつは、わざわざ図書館で古い建築雑誌を引っ張り出してきて書いたのです。お金にもなにもならないけれど無駄に力を入れて書くと、必ずしも多くの人が読みたいと思っているものではないかもしれないけれど、少なくとも、自分は楽しいのだと思えたのでした。自己満足化。この時期くらいから明確に「ブロガー」とか「収益化」という要素から私自身はTake Offしはじめた気がします(逆に、正確で鮮度や質の高い情報を提供し続けるブログを書き、収益化している人たちの努力には敬意を持っています)。同時に、たくさんのひととホテルというものを通じた交流したいという願いが強くなってきたのもこの時期でした。
【ホテルオークラ東京ペントハウスでの回想】
私の人生を語る上で欠かせない祖父との思い出を書いた記事。この記事には特別な想いがあります。だんだんと認知症が進み世界から去っていった祖父と、未来にむかって新しい歩みを進めていく思い出の場所との交わり。もはやホテルオークラのペントハウスもなくなってしまいました(そうそう、あの別館の「常連さん」の集うバー・ハイランダーも懐かしいですね)。現代的なラグジュアリーホテルに変わったけれど、あの場所で大好きなパイアラモードを食べるたびにふとあの頃の記憶が鮮明に甦ってくるのです。
【パークハイアット東京・プレジデンシャルスイート】
私が世界で最も好きなホテル、パークハイアット東京。そのなかでも最上級の部屋であるプレジデンシャルスイートに泊まれたのは二重の意味で特別な体験でした。ひとつはもちろんその圧倒的な空間の余裕と世界観の作り込みのすごさを身をもって知ることができたという意味で、もうひとつはもっと個人的な事情で。じつはこの数日前にいまは元妻となった方とお別れする決意を固めていたのです。それを記事のなかに仄めかすことはしませんでした。でもこの特別な部屋にひとりで泊まって、空虚な自由さとひとりの贅沢の甘さの狭間に酔うような気持ちがしていたのです。おそらく「夜間飛行の見聞録」に最も多く登場しているホテルですが、このときのみならず、なにかしら私の人生の転換点にこの場所にいることが多い、そんな不思議で特別なホテルなのです。
【メズム東京・シェフズシアター】
離婚の騒動ではじまった2020年の前半は、コロナウイルス感染拡大の世界的な恐怖と連動する形ではじまったのでした。はじめての感染者が国内でみつかり、ダイアモンドプリンセス号が横浜港に停泊していたころ、私は開業して間もないインターコンチネンタル横浜Pier8に滞在していました。そしてほどなくして緊急事態宣言が出されて、旅行はおろか、気軽に近所のホテルに泊まることさえ難しくなってしまったのでした。あのときは都心でもありとあらゆるところが閑散としていて、ホテルの明かりも消えているなんとも寂しい時期でした。お気に入りのホテルのレストランでさえもほとんど営業休止。たまに空いている場所でさえも、わずかなメニューだけの簡易的な営業でした。そんななかで開業したのがメズム東京オートグラフコレクション。宿泊こそしませんでしたが、本当にひさしぶりにホテルのレストランで「ちゃんとした」食事をした思い出の場所です。ちなみに不思議なことにこのホテル、いまだに私は宿泊していないのです(逆に2020年にここのレストランやバーには何度か足を運んでいました)。いつかきっと…!
【シャングリ・ラ東京】
2020年の前半のテーマはコロナ禍とひとりステイだったとするならば、後半には新しくできた「パートナー」との「甘い」日々が頻繁に登場するようになります。いまから振り返ると、この記事にあるような「ひとりの贅沢とひとりの贅沢が重なるところにあるふたりの贅沢」に辿り着くことはできなかったのですが、いろいろな思い出を持つことができました。そして、この頃から別れのときまで、一言では表せない複雑な気持ちをホテルステイという体験に託してここで語ろうとしていたようにも思います。
【ザ・プリンスパークタワー東京〜妹の結婚前夜】
2020年のもうひとつ思い出深い記事が、この妹の結婚前夜にプリンスパークタワーに家族全員で泊まったときのものです。家族という形もゆっくりとしかし確実に変わっていくものだということを改めて感じるとなんだか切ないような、でも不思議とあたたかいような気持ちになります。しかし…この年はなんとなく全体的に内省的かつメランコリーな内容の記事が多い気がします。もちろん自分自身の状況や心模様の反映もあり、また社会状況もそれに拍車をかけていたのだと思いますが、あの頃を思うと、ずいぶんいまは気楽な気がします。
【KENJIさんとラグジュアリーホテルの魅力を語る】
その1:
その2:
気づいたら終わっていた2021年。でもある意味で「夜間飛行の見聞録」を続けてきてよかったと思えた最初の年であったと言えるかもしれません。ちょうどこの時期は趣味としてのホテルステイが広く知られ始めた時期ですね。私が以前から楽しんでいたホテルステイのスタイルも「ワーケーション」とか「ホカンス」なんて言葉が与えられて、市民権を得たような気がします。海外旅行はまだ難しいけれど、新規に開業した場所も含めて国内のラグジュアリーホテルにとても泊まりやすい状況が生まれていたこともあって、いろいろな人がいろいろなところに毎週のように滞在していましたね。ホテルの情報も活発に飛び交い、いままでになくホテルを通じたつながりというものを感じられて、私自身も楽しい気持ちになりました。また結果的にいままで交流を続けている方のなかで、この時期に相互フォローになったことも多くいます。そうしたなかで、いまはもうX(Twitter)を引退してしまったKENJIさんと一緒にClubhouse(気づいたらブームは去っていましたが)にて、土曜日の夜22時から2時間くらい、隔週でホテルについて語り合うという幸運に恵まれました。KENJIさんとのマニアックなホテルトークも、毎回参加してくださる皆様のホテルストーリーも毎回とても楽しみにしていたものです。ときどき、あの土曜の夜のスマホの前の2時間がたまらなく恋しくなって、またなんらかの機会に復活できないものか…という想いにかられることがあります。
【さあ、再びホテルに】
2021年が数多くの出会いに恵まれた年であったとすれば、2022年は「別れ」を感じさせられる年であったような印象があります。実際には「別れ」だけでは片付かない部分も多いのですが、それでもコロナ禍に築かれたなにかが変わっていく年でした。以前ほどの力をもって「夜間飛行の見聞録」が書けなくなってきたこともあり、徐々に配信の中心はX(このときはまだTwitter)へとなっていきました。私自身が仕事の掛け持ちで忙しくなってきたという事情もあります。人間関係の変化もあります。そうしたいろいろな考えであっぴとしてのTwitterでの配信を停止したのですが、やはり愛着のあるアカウントを続けていきたい気持ちが強く、その復活に合わせてこの記事を書いたのでした。このときの想いはいまも変わらず強くあります。
【2022年のホテルステイを振り返る】
生活スタイルが変わってきたこともあって2022年以降はこうした「振り返り」の記事が増えます。はじめの頃は月に3~4回くらいは書いていたし、もっと頻繁に書いていた時期もあったのですが、しだいに書けなくなってきます。そこでTwitterを利用したツイート(いまならXのPost)にホテルストーリーを語ることの軸足を移しながら、ここはときどき滞在の記録をまとめたり、よっぽど書きたいホテルに出会ったときに書く、ということにしようと自分のなかのゆるい基準を作っていたのです。それにしてもこうして振り返ってみると、我ながらホテルの選び方に一貫性がありませんね。
【2023年のホテルステイを象徴するような記事を少々…】
2023年は「夜間飛行の見聞録」への投稿は前年よりもさらに減りました。単純にさらに忙しくなってきたということもあります。そしてそれゆえにX(Twitter)への投稿でなんだか満足している面もあります。それにも関わらずこうしたときどき「熱く語りたい」ホテル体験に出会うこともあります。
最初に今年のホテルステイの象徴としてグランドハイアット東京の記事を選んだのは、今年(正確には2022年の秋以降)はこれまでになくXで交流のある方とお会いする機会に恵まれたということです。その場所としておそらく一番多く選んできたのはグランドハイアット東京のレストランだったと思うのです。いままでは「夜間飛行の見聞録」というメディアを通じた交流が、徐々に対面での交流へとシフトしてきたような気がします。そしてやはり直接ホテルのことについて語り合えるというのは本当に楽しく幸せな時間で…おそらくここに投稿する頻度が減った理由の一旦もそこにある気がします。まだお会いしたことがなくても、いつかお会いしてみたい方も数多くいます。
今年のホテルステイの象徴に選んだ残りふたつの記事は、「夜間飛行の見聞録」として投稿するならばこういう記事にしたい、という最近の思いを反映したものとして、ここに挙げてみました。ミヤコホテルの歴史(そしてここには「夜間飛行の見聞録」初期の作風である「比較」の発展系が盛り込まれています)について書いたのは、やはり「老舗」はいいな、としみじみ思ったことがきっかけです。そしてもうひとつNIPPONIAについて書いているのは、記事にもありますが、「第三勢力」のホテルの魅力の発掘に最近の私は夢中だからです(先日も尾道のLOGとか福岡のHOTEL CULTIAに泊まり、その魅力に触れたのがそのあたりもいつか書けたらと思います)。
改めて5年の歩みを振り返ると、本当にいろいろなことがありました。でもずっとその配信の中心にあったのはホテルという場所やその体験を通じた人と人の「つながり」でした。読んでくださる皆様との交流が、私を後押しし、ときに癒しや勇気やインスピレーションをもらい、大切な核となっているのです。以前のように投稿できなくなったいま、この「夜間飛行の見聞録」もやめてしまおうかと思うこともしばしばあります。しかしそうした「つながり」の豊かさを思うとき、以前のように読まれることはなくても(読者の数は最盛期の5分の1になりました)続けていきたいという想いをあらたにします。願わくばさらに5年の時を重ねて、「夜間飛行の見聞録」が10周年を迎えても、ホテルステイの魅力をいま以上にお伝えできて、またそんな豊かな「つながり」が続いていくことがあれば、このうえない幸せだと思っています。
今後ともよろしくお願いいたします。