秋空が広がるようになると、どういうわけか、様々なものごとに敏感になってしまう…少なくとも私はそうなのです。感覚が研ぎ澄まされるということについていえば、ひとつひとつの出来事に強く感動するようになるので、まさに生きている実感を強く持つのですが、同時に些細なことに落ち込んだりもしてしまうのです。そのことでいらない心配をしてしまったり、すっかり自信を失ってしまったり。そういえば「うれい」という言葉には「憂」と同時に「愁」という漢字もありました。
私は、もしかしたら、いやかなりの確度をもって、この季節の愁いの中にいるのかもしれません。
先日パートナーとパレスホテルに滞在してきました。しばらく前に予約を入れていたのですが、私は急に訪れたこのような心情のもとにこの煌びやかなホテルへと足を運ぶに至ったのでした。
レストランやラウンジには何度か行ったことはあったけれど、宿泊は今回がはじめて。車寄せに荷物を預けて、それからロビーエリアに上がってくると、エントランスに飾られた装花の華麗さが際立ちます。週末になればもっと多くの人たちで賑わうのでしょうが、今日はそれほど人もいなくて、静けさの方がまさっていました。
客室は「クラブデラックス」へとアップグレードされたので、ウェルカムドリンクを頂きながらチェックインへ。丸の内や日比谷の高層ビルがパーシャルビューになっていて、遠く見渡せるようになっていました。いつもならばきっとただこの景色に感動したことでしょう。しかしなぜか愁いの気持ちが心の中に芽生えてしまっていた私は、鈍色の空模様に、夏が終わってしまったことの淋しさを見出してしまっていました。
私のパートナーも私のそうした様子を敏感に感じ取っていたのでしょう。そしておそらく彼女のことを余計に困惑させてしまったに違いありません。しかし困惑させてしまっているという焦燥感が、余計に相手の顔色を伺うようなよそ行きの態度となって現れてしまいました。お互いに相手を思うが故に、腫れ物を触るような妙な距離感が生まれてしまったような気がします。
わだかまりを心のどこかに残したまま客室へ。凛とした清楚な白を基調としたインテリアコードの客室は、良い意味で日系ホテルらしさを感じさせない雰囲気がありました。
ちょっと話し合いませんか?
ようやく落ち着いた私は気持ちを伝えることに決めました。私のパートナーには尊敬すべきところが数多くありますが、こういうときに理性的に解決できるように穏やかに話を聞いてくれるところをとてもありがたく感じています。
ぼんやりとした愁いの情は、漠然とした不安や、日常の中にあるような小さな失敗やささやかな違和感、そうしたものが寄せ集まってできているのかもしれない。彼女と話しているうちに、そういう気づきを得ました。そしてその愁いの気持ちを、ふたりの関係の中に知らず知らずのうちに持ち込んでしまっているのかもしれないという余計な心配や気遣いが、かえって彼女の重荷になっていることも知りました。
私は「あるがままの自分」を、知らず知らずのうちに、見失っていたのかもしれません。自分という軸がなくなったときに、自分の行動に自信がもてなくなるから、つい相手の出方を伺ってしまう。そうすると相手はいつも自分の行動が見られているような重たさを感じてしまう。私は自分が恥ずかしくなりました。
自分の非礼を謝りながら、同時に受け止めてくれた彼女に感謝して、ようやくわだかまりが解けたような気がします。もちろん問題がすべて解決したわけではありませんが、少なくとも、自分があって、相手がある、そのあたりまえの事実を大切にすることから始めようと思いました。
感覚に対して過敏になってしまうからこそ気にかかってしまうような小さな失敗やささやかな違和感、それらひとつひとつを数え上げないようにしよう。それは簡単なことではありませんが、できるかぎりの努力をすることで見えてくる光もあるような気がします…そうしているうちに、もしかしたら、色々なことがどうでもよくなってくるかもしれません。
再びふたりでラウンジにいったとき、ちょうどアフタヌーンティタイムでした。かわいらしいお菓子とお茶。その色合いは一段とカラフルに見えました。このホテルの色合いにようやく気づくことができたのでした。
ラウンジでしばらくお互いに持ち込んだ仕事の雑務をこなしてから、夕食を前にふらりと散歩にでかけました。ちょっとした買い物もして、東京駅から皇居へと続く広い街路に出ると、驚くほどに赤い夕焼けが見えました。
付近には結婚写真を撮影中のカップルがたくさんいて、興奮と幸運を確かめあうような嬉しそうな歓声が聞こえました。
夜の皇居はこのメガロポリスの真ん中に静けさをもたらして、ところどころにほのかに見える灯火が、それをいっそう強めているように見えました。当たり前のように終わる今日という日。風呂に入って、ほっと一息ついてからベッドに入ったら、そのまま眠ってしまいました。
朝の光が差し込んできて、いつもより少し早く起きたら朝食へ。外に出るのがとても気持ち良い季節に、どこかテラスのあるレストランで爽やかな朝食が食べたい…そういう気持ちが自然とふたりで一致したことから、今回のパレスホテルでの滞在をすることにしたのでした。
抜けるような青空のもとで食べる朝食というのは本当に気持ちが良いものです。時節柄、ここもセットメニューでの提供。しかし色とりどりの野菜は食感も香りも豊かだし、卵料理もとても丁寧に作られていることがよく分かる味わいでした。焼き立てのパンにマーマレードを塗って食べるとき、濠端を秋のはじまりの涼風が吹き抜けていきました。
ホテルの部屋の前にある公園を散歩して気持ちがよかったので、そのまま皇居前広場を通って、日比谷公園まで歩くことにしました。昼が近づくにつれて日差しを強く感じるけれど、吹いてくる風はやはり涼しい。
もしいま突如として訪れる不安を抱える人がいたら、気にしすぎないで欲しいと言いたい。しかし気にしすぎてしまう自分を責めないで欲しいとも言いたい。
あるがままに生きる…それは理想ですが、しかし「あるがままに生きられない」ことを責める必要もないはずです。私自身も気にしすぎてしまうし、あるがままに生きられません。しかしそのことに気づけたことは少なくとも幸せと言えるかもしれません。
ホテルをチェックアウトする頃には装花も変えられていました。季節は変わるし、人も変わる。そうした変化に呼応するように心の持ちようが分からなくなることもあります。しかしそのことを恐れる必要はないのかもしれません。自然の流れに身を任せる。それが難しくても、心のどこかにその気持ちを留めておこうと思いました。
ホテルステイがたくさんあると、どうしてもそのホテルで過ごすときの気の持ち方も色々とあります。晴れたり曇ったり。またこの華やかで煌びやかな素敵なホテルを尋ねるときは、心の色合いはどのようなものとなっているのでしょうか。