ひらまつ熱海(THE HIRAMATSU hotels & resorts 熱海)宿泊記・美食と相模湾の眺望と共にすべてをオフにする滞在

いつものように仕事をこなし、日常生活に潜む雑事に頭を悩ませて、そうして毎日を過ごしているうちに感性がどこかへとなくなってしまうような感覚になることがあります。そういうときに私は海の近くに行きたくなるのですが、せっかくならば美食も楽しみながら、ゆったりとした時間を過ごしたい。そのような場所として前々から訪ねたいと思っていた場所がありました。

静岡県の伊豆半島の付け根に位置する熱海。駿河湾を見下ろす位置にあるスモールラグジュアリーリゾートホテルである「ひらまつホテルズ&リゾーツ熱海」は、近年高級リゾートホテルや旅館によって再興しつつある熱海にあっても、とりわけ個性が光る滞在先だと前々から思っていました。折しも2日間の休暇を得たので、ここを訪れることにしました。今回はその滞在についてリポートしてまいりましょう。

チェックイン

東京から曇天の西湘を抜けると、神奈川県の最西端の磯辺にたどり着けます。さらに進んで真鶴道路から見える鈍色の海はほのかに青みを帯びて輝いていました。ビーチラインをすぎて、海岸沿いに高い建物が連なり、山の上の方まで別荘がみえる独特の景観を目にしたらもうそこは賑やかな熱海の街。

市街地を抜けて、昭和の観光地らしさを今に伝える熱海城の真下にあるトンネルを抜けた先の細く険しい坂を、エンジンを唸らせながら登っていくと、今回滞在する「ひらまつ熱海」のさりげないエントランスが見えてきます。

数名のスタッフが出迎えるなかで、車の鍵を預けて、立派な日本の別荘建築をそのまま生かした建物の中へ。空間の持つ重さをしっかりと残しつつ開放感のある場所でチェックインを行います。横長の窓に向けられた席に腰掛けると、その向こう側には遠く相模湾の水平線と初島がよく見えました。

慇懃な対応に徹するスタッフはまさに「ひらまつ」らしさを感じさせるもので、この熱海の別荘地の持つ豊かさにも響き合うものを感じさせます。

チェックインの書類を書き終えてほどなくすると、ウェルカムドリンクがワゴンに載せられて運ばれてきました。ひらまつレストランでも馴染み深い「アランミリア(alain milliat)」を磨き上げられたワイングラスに入れて。いくつかの味の選択肢がありましたが、私は白葡萄を選びました。

この白葡萄ジュースはぶどう本来の味というわけではなく、とても人の手が加わったような味という印象があります。しかしそれは人工的ということではなく、むしろ人の手によって果実の持つ甘みや酸味が極限まで引き出されたような驚きを感じさせるものであると思います。

せっかくなのでもう少しこの相模湾の景色を堪能すべく、ベランダに出てみました。伝統的な日本の建築様式の向こう側にはインフィニティープールのように海との連続性を強調した水の床。梅雨らしく空は分厚い雲に覆われていましたが、水平線近くの空にはわずかに淡青の色が見えました。

気温はさほど高くありませんが、気だるくなるような湿気を含んだ海風が吹き込んできます。前日にいた横浜に吹いてくる海風ともまた違って、どことなくボタニカルな余韻を漂わせていました。今日は、積み上げてきたものを忘れて、なにもしない1日を過ごしたい。そういうときにこの気だるさはむしろ心地よいものだと思われました。

客室:1Fダブルルーム

しばらくベランダでゆったりと海を眺めてから客室へ。きびきびと動くスタッフにエスコートされて1階まで向かいます。

今回滞在する客室はダブルルーム。こちら「ひらまつ熱海」では最もコンパクトなタイプですが、それでも53m2と余裕のあるつくりをしています。石造りの温泉室内風呂が設えてあり、ベッドルームはゴールドやシルクが絢爛な雰囲気を醸し出していました。帆船の模型や片岡球子の絵画が飾られていて、モダンな部屋ながら、なんとなくクラシカル。それはリゾート地にある美術館(都会の現代美術館ではなく)のような趣を感じさせられるものだと思いました。

ウェットエリアはダブルシンク。また石造りの温泉浴槽のほかに、シャワーブースが設置されていて、使い勝手は非常に良いものでした。

温泉バスルームからは相模湾が遠く見渡せます。またベッドルームとは空間的に連続していますが、もちろん引き戸で隔てることも可能です。温泉につかりながら静かな海の景色を眺めます。どういうわけかシューベルトの交響曲が聞きたくなったので、そのままかけてしまいます。誰にも気兼ねなくゆったりと温泉と絶景を楽しめるのはまったくもって贅沢なことです。

お風呂から上がって、ベッドに腰掛けて、冷たい水を飲みながら、やや遠目から空を流れていく雲の変化の様子を追うのもまた気持ちいい。東京を出る前はせっかくのリゾート地なのに、局地的に強い雨が降るだろうという天気予報に残念な思いがしたのですが、雨空の相模湾の景色は陰鬱な中に明るさがのぞいていて、とても美しく感じられました。

アメニティは籠のなかに綺麗に収められています。バスアメニティはブルガリの「オ・パフメ」シリーズ。緑茶をベースにした爽やかさのなかに甘い香りがアクセント。洗い上がりの質感は特筆すべきほどではありませんが、柔らかい香りと共に、快適に使うことができると思います。

美食の時と水平線の青と黒を眺める時

温泉でくつろいでみたり、ソファで読書したりするうちに予定したディナーの時間。少しフォーマルな、しかしあくまでもリゾートらしく肩の力を抜いた装いに着替えて、テーブルに向かいます。

高さのあるローソクの火の赤。そしてどこまでも続いているかのような海の青。日照時間の長いこの時期に特有の日暮れの明るさと静かな海を望みながら、数年ぶりに飲んでみたシャンパン。溶けて消えてなくなってしまうような柔らかな泡の刺激に、高く香ってくるのは爽やかな果実の香り。

スパイシーなカルダモンを薫らせた人参や、ブリーチーズを使ったマイクロハンバーガー、そしてさざえをキャベツと合わせて濃厚な出汁を効かせたものをアミューズブッシュに、シャンパンをもう一口。お酒に強くない私はあくまでもマイペースに飲んでいきます。それは本来的な楽しみ方ではないかもしれないけれど、そんなことはどうでもよいのです。

とうもろこしのムースコンソメは夏らしい一皿でした。細く刻まれたトリュフの香りはなんとなく雨後の空気に似ていて、そこにサクサクとしたポップコーンのアクセント。また天城軍鶏のプロシェットは素材の持ち味が生かされていて、噛むたびに広がる滋味深さに炭火の薫りが余韻となります。そして再びこのとうもろこしの甘さが恋しくなる。満足感と同時に空腹感をもたらす、まさにアペタイザーとしての役割を立派に果たしている一皿といえましょう。

熱海の海岸に流れ着く流木を綺麗に磨いた上にガラスの器を載せるという大胆なプレゼンテーションとともに、車海老のミキュイが運ばれてきます。まろやかなアボカドのタルタルがハーブの優しい香味と合わさって、やわらかな後味を演出。そして少し野性的でとがった味のキャビアが全体を引き締め、フルーツトマトの甘さと酸味と色味を生かしつつ、涼やかな印象を与えるクーリーが味わいを広げていきます。

三河産の鰻をこんがりと焼いて、山椒のアクセントを加えたもの。そしてフォアグラのポワレ。バルサミコとポルト酒のソースがすっきりとしていてどこかエキゾチックな風味を醸し出していました。このときに隣席で、フォアグラとポルト酒のペアリングをあまりに美味しそうに飲んでいる様子をみて、それに惹かれて、私も、少し飲んでみることにしました。

焼いた鰻に山椒という極めて日本的な味覚に、フォアグラという実に西洋的な濃密な味覚の組み合わせ、そこに甘く深みのあるポルト酒が恐ろしいほどに合う。それはこれまでまったく別の文脈にあったもの同士に、意外な共通点を見出し、互いに強く共鳴するような感動に似ていました。私はそのとき、これまでに忘れていたような、あるいは、まだ体験したことのなかったような出逢いの歓びを感じずにはいられませんでした。

おかひじきのアクセントが面白い魚料理に続いて、王道の牛フィレ肉のロースト。赤ワインのソースというこれもまた王道の組み合わせに加えて、天城産の生わさびを効かせて味わいます。素材それ自体の味わいを生かすために過不足なく火をいれた肉の美味しさはいうまでもありませんが、アクセントとなっているわさびの甘さがそれを引き立てて、伊豆半島の入り口にあるこの土地らしさをひそやかに感じさせます。

フロマージュの用意があると聞いたら、それを試してみないわけにはいかない。それもプレートに載せられた個性豊かな香りや味わいを想像してみるならば、やはりそれらを食べ尽くしてみたくなるものです。赤ワインでウォッシュした個性的なスペインのチーズや塩気が強くも優しい土地の味わいを感じさせるブルーチーズ。熟成してとろとろになった白。ふわふわとした口当たりのままに香りも柔らかな山羊のチーズ。

乾燥させた葡萄の実やきりっとした味わいのボルドーワインにもよく合います。

デザートにはこれも夏らしく白桃のコンポート。上に乗っているミントはかなりストロングな刺激。また酸味の強いさくらんぼから作るマラスキーノの風味を効かせたグラニテが、しゃりしゃりとした楽しい食感と引き締まった後味をもたらします。もちろん白桃の甘酸っぱさは言うまでもなく、最後の最後まで満足度の高いディナーを堪能することができました。

最後にハーブティーをもらって席を立ちます。客観的には長いディナーでしたが、主観的な時間はあっという間に過ぎ去っていきました。

恍惚に似た気分で部屋に戻ると、外はすっかり真っ暗な夜の海。今晩は早く寝ようと床についてみても、なぜか熱に浮かされるような気がして寝付けません。いつまでたってもそわそわした気分で寝付けない。静かな夜の海を眺めながら、物思いに耽っていました。

翌日の早朝。海岸線の向こうのほうが霞んでいるのは雨のせいなのか、それとも霧のせいなのか、よくわかりませんが、雲の切れ間からは鮮やかなセルリアンブルーの光が差し込んでいました。せっかくすべてをオフするためにここまできたのに、結局ほとんど眠ることができませんでした。しかし不思議とまったく疲れたような気分にはなりませんでした。

もちろん生物学的な観点からは睡眠不足はよくない状態とされるでしょう。しかしそうした観点とは別に、私の心模様は、この熱海の穏やかな海を望む部屋で柔らかな感動に揺さぶられているような気がしました。

空と海の放つ淡い青い光のなかで、少し遅めの朝食をいただきます。エスプーマを施した蛤のチャウダーも、地物の野菜をふんだんにつかったサラダも、鯵の干物をトマトと合わせたものも、すべてが丁寧に作られていて、満ち足りた朝食。クロワッサンに蜂蜜をかけてコーヒーを飲んで、食後には再びベランダでゆったりとした時間を過ごすことにしましょう。

しばらくしてから部屋に戻り、それからあっという間にチェックアウトの時間。愉しい時間の経つことの早さに改めて驚かされます。非現実的で夢のような時間。そしてまた日常生活へと還っていく。今回はなんだかとりわけ日常生活に戻ることが惜しく感じられました。しかしこの名残惜しさが私たちを再びの旅へといざなっていくことを私たちは知っています。いまは毎日をやり過ごしていくことにしましょう、憧れや想いを心に抱きながら。

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