2025年2月富士屋ホテル宿泊記

極上のホテルが箱根にあります。以前にも熱っぽく語ったことがあった記憶がしますが、リッツ・パリよりも、モアナサーフライダーよりも、セントレジスニューヨークよりも…私がこれまでに泊まってきたどのホテルよりも歴史ある建物が現役であり、その高いホスピタリティまで含めた上質な旅の体験がこんなに身近なところにあるというのは、なんと豊かなことでしょう。日本最高峰の名前が冠されているクラシックホテルの王者。富士屋ホテルです。

寺社建築のような絢爛で目立つ花御殿。真っ白な和洋折衷のつくりが美しい歴史の生き証人である本館や西洋館。昭和の温泉モダニズムの息吹を伝えるフォレストウイング…どこに泊まろう。こういうときはホテルのおまかせに委ねてみるのも一興です。ちょうどそういうプランが出ていたのでラッキードローのような気持ちで当日を待っていたのです。

まずは車をホテルの玄関口に横付けすると、初老のベルスタッフが丁寧に案内してくれて、そのまま鍵を預けてバレーパーキングスタイルでチェックインへ。その案内がスマートでさっそく感激します。やはり第一印象の重要性を心得ている。老舗らしい安定感を感じながら本館で手続きをします。

前回ここに泊まってから早いものでもう2年弱経ってしまいました。驚くべきことです。しかしもっと驚いたことにはそのときチェックインしてくれたスタッフが私のことを覚えてくれていたことです。たしかに熱っぽくホテルの魅力を伝えた記憶はありますが、それでもちゃんと私のこのホテルの好きなところを押さえていてくれたのは嬉しいものですね。

そんなわけで今回の部屋がすぐに決まりました。

そう、前回も滞在した西洋館。ただし前回が向かって左側の2階だったのに対して、今回は右側の1階。なにしろ19世紀からずっと存続しているホテルなので部屋の種類もバリエーションに富んでいます。西洋館も部屋ごとにいろいろな個性があって、おそらくどの部屋に泊まっても新しい発見があることでしょう。

まだ新人らしい若手のスタッフに案内されて部屋にいきます。鍵も昔ながらの金属製。扉を開くとまずかわいらしい淡いピンクの壁にやわらかな緑色の絨毯。なんとも重厚でありながらもラブリーな雰囲気に心打たれます。貴婦人のような部屋。その歴史を感じさせながらも現代のラグジュアリーホテルと変わらない快適性まで確保しているというのも素晴らしい。

この部屋のもうひとつの特徴は猫足のバスタブ。本物の歴史ある建物によくあっているクラシカルなバスルームです。ただ単に古いわけではなくてしっかりとライトが埋め込まれた鏡だったり、まったくストレスのない心地よい水圧が確保されていたり、本当に抜かりのない設備。バスアメニティはホテルオリジナルですが、これは万人受けしそうな香りと質感。さらに強調しておく設備は宮ノ下温泉がしっかりと客室にも供給されていること。プライベートな空間で100年を超える歴史に想いを馳せながら温泉浴まで楽しめてしまう。

客室も廊下も100年を超える。歴史ある本館が建てられたのはさらに歴史を遡って1891年。もはや19世紀の生き残りがいないということは、この建物が落成した瞬間を生きていた人は誰もこの世にいないということになるわけです。この明治39年に完成した西洋館も来年で築120年。そう思うとなにかとてつもないものを感じます。自分があと何年生きるのだろうか…?とじっくり考えてみたときと同じようなとてつもなさです。例えば四半世紀後の2050年、そのとき自分は生きているにしても、どんな人生を送っているのだろうか?あるいは2075年は…?

人間の一生なんてあっという間ですね。諸行無常な気分になります。それと同時にやはり時代を超えるこのホテルがさらに魅力的に思えてくるのです。

夕食まではまだ時間があることだし、このホテルのお気に入りの空間のひとつで少し時間を過ごすことにしましょう。このテラスに面したサンルーム。曇りの日でしたが、なんだか明るくて心地よい。本を読んで過ごしてもいいし、ぼんやりと山の形を目で追ってもいい。雛人形や桃の花が飾られていてもう春がそこまで来ていることを思わされました。

そうこうするあいだに夜です。ロビーも今日は静か。ここマジックルームでは、かつてマジシャンがパフォーマンスをしていたことに由来するそうです。かつての賑わいを想像してみるとまたこのホテルの様々な姿が浮かんでくる気がします。

夕食をどこで取るのかは悩ましかったのですが、今夜は軽めの洋食のコースをカスケードで。ここはかつて宴会場「カスケードルーム」だったところであり、その当時の意匠であるステンドグラスや彫刻をそのままにリニューアルした空間。明治や昭和の建築が多いこのホテルにあって、大正時代の雰囲気を伝える場所でもあります。名物のコンソメスープを堪能した後は鴨料理。フレンチとかイタリアンじゃなくて洋食…それがひとつのジャンルとして成立しているということを納得させられてしまうのがクラシックホテルの魅力だと思います。横浜のニューグランドにいくときもそんな気持ちになります。

食後は夜のホテルをふらりと歩いてみましょう。その静かな山の夜にかつて集った人々の面影を思い浮かべながら…。歴史を超えるこのホテルの生き証人たちは雄弁だから私はひとまず口を噤むことにします。ただその静けさに耳を傾けて、身を委ねて、あとはゆったりと部屋で休むだけです。

さて…静かな夜。温泉。そして冷蔵庫に冷えていた炭酸水。もうそれだけで十分なのです。

朝が訪れました。昨日の雲は晴れて綺麗な冬の青空。箱根というと雲や霧に閉ざされた鈍色のイメージが強いのですが、それだけのこんな朝は格別に心地よく感じられますね。

朝食は4種類から選べるわけですが、私はペストリーブレックファーストを選びます。フレッシュオレンジジュースやフルーツとヨーグルト。しっかり熱くて香り高いコーヒー。そして香ばしさとしっとりした甘さのフレンチトースト、かりかりと香ばしいシナモントースト、そしてもちもちのロールパンケーキにピュアな蜂蜜やメープルシロップ、シャンティクリームを好きなだけかけて食べる。付け合わせのソーセージなどの質も極めて高い。メインダイニング・フジヤの重厚な空間と正統派の日系ホテルの老舗らしい安定したホスピタリティ…すべてが揃っていて日本国内のホテルでも最高レベルの優雅な朝食を取れることは間違いありません。

私はホテルステイでもっとも好きなのは朝の時間なのですが、そこでこんな朝食を出されたら、魅せられないはずがありません。

長いホテルの歴史の1ページに私は確かに存在していました。チェックアウト。改めて本当に素晴らしいホテルです。日本のクラシックホテルのなかでも個人的には別格。またのんびりとした時間を過ごしにここを訪れたいと思います(すぐにでもまた訪ねたいと思うほど…!)。

ついついその歴史性に惹かれて本館や西洋館に泊まりたくなってしまうのですが、今度こそは花御殿に!いや、昭和のモダニズムのフォレストウイングもいいかもしれない(フォレストウイングも1960年に建てられているので、なんだかんだでもう65年もの歴史を有しているわけです)。何人ものスタッフにあたたかく見送られながら、私の心はすでに次にこのホテルに再訪したときのことに向いてしまっているのでした。

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