しかし時代を下り1937年くらいになると、ついに「時局に遠慮して」クリスマスのダンスも自粛するムードが広がっていった。かつての帝国ホテルの名支配人であった犬丸徹三は大正天皇が崩御したときでさえも、クリスマスのダンスパーティを中止することはなかった。いわく「大正天皇の死を悼んでダンスをするのがなぜ悪い」と、右翼たちに凄んでみせたという。しかし国家総動員体制の元での自粛ムードには大人しく従うほかなかったようだ。
そして「贅沢は敵」の時代がやってくる。
かつて華やかだった銀座や新宿のクリスマスの夜からは明かりが消えていった。シャンパンの泡も消え、ガラディナーも消え、そしてクリスマスツリーや装飾やイルミネーションは内偵によって停止させられた。その後の戦果はよく知られる通りである。
カルヴィントムキンズは”Living well is the best revenge”という著作を残しているが、この時代を思うにつけてこの「贅沢な暮らしは最高の復讐だ」という言葉は(小説の内容の如何を問わず)妙に心に残る。
高度経済成長と赤坂プリンスホテルと
1950年代が戦後復興の時代ならば、1960年代はその完成期にあたるだろう。ホテルに話を絞るにしても1964年の東京オリンピックや1970年の大阪万博に向けて数々の名門ホテルが開業したのもこの時代だ。
東京に注目するならば、戦前からある帝国ホテルも新本館を建て(1970年竣工)、日本の最高水準のおもてなしを打ち出したホテルオークラ(1962年)や新しいサービスや設備で勝負をかけたホテルニューオータニ(1964年)もオープンし、御三家が出揃ったのがこの時代。そしてヒルトン東京(現・キャピトル東急)やパレスホテル、東京プリンスホテルなどが綺羅星のように開業していった。
他方でこの時代になってもまだクリスマスを恋人とロマンティックに祝うという慣習はさほどなかった。戦前からの「カフェー文化」の流れで踊り狂うという人々もあったが、しかし当時はどちらかというとヒッピームーブメントなどに触発された「フリーセックス」が盛んに唱えられた時代。ラブホテルが各地に開業。また古くからの連れ込み旅館なども人気だったという。他方で「健全な若者」たちは、クリスマスボウリングなどの男女のグループで楽しむという「団結」が心に響く時代でもあった。
他方で高級ホテルが次々に開業する中で、クリスマスの恋人との過ごし方がそこと交わることはまださほどなかった。もちろん一部の先進的な人はいたのかもしれないが、全体としてみたらまだまだ貧しい時代だったのだ。
(現代に蘇った「赤プリ」:プリンスギャラリー紀尾井町の客室)
こうした流れが変化するのが1980年代。このことになると経済的にも豊かになり、文化水準も向上してくるようになる。ライフスタイルに関する雑誌も次々に刊行されて、「クリスマスイブを恋人と一緒に贅沢なホテルの部屋で迎えたい」といった願望が様々な記事にみられるようになっていく。そして80年代後半から90年代初頭のバブル時代に極致を迎える。
こうした人々の憧れのマトだったのが「赤坂プリンスホテル」であった、通称”赤プリ”と呼ばれたこのホテルに部屋をとって、高級レストランでディナーを堪能した後で、ブランド物のプレゼントをするというのが、最高のクリスマス過ごし方のモデルになった。それほどまでに”赤プリ”のステータスは高かったのだ。
1983年開業のこのホテルは世界的に著名なモダニズム建築家の丹下健三の作品であった。どの部屋も角部屋となるモダンな超高層ホテルは時代の最先端を行く感じがしたものだろう。ちなみに同じ時期に現在のハイアットリージェンシー東京(当時はセンチュリーハイアット)も開業しているが、こちらは豪華なシャンデリアとシースルーエレベーターを備えており、双璧をなすほどにハイソなホテルとして知られていた。
新しい高級ホテルの時代へ
こうして1980年代くらいに恋人と過ごすロマンティックなクリスマスというライフスタイルが生まれて、バブル経済の頃にその最盛期を迎えた。
しかしバブル経済の繁栄もまさに泡沫と消え、しばらく東京の高級ホテルも停滞した時代が続いた。1990年代初頭にフォーシーズンズ椿山荘・ウエスティン東京・パークハイアット東京という「新御三家」が開業したが、それはまさにバブル経済の置き土産のようなものだろう。特にパークハイアット東京はかの”赤プリ”と同じ丹下健三の建築であり、しかも風格も客室の水準も時代を超越した存在感を放っていた。
(パークハイアット東京の客室)
以降の東京の高級ホテルの歴史は外資系ホテルの展開を抜きには考えられなくなった。グランドハイアット東京にはじまり、フォーシーズンズ、ペニンシュラ、マンダリンオリエンタル、リッツカールトン、アマン、シャングリラ…これまでにない高級ホテル体験を提供しようと躍起になっている。「モノ」から「コト」へと消費スタイルが変わってきたとはよく言われる。それは、「高級」ということに対する価値観が多様化したことの裏返しなのかもしれない。
こうして高級ホテルとクリスマスの歴史を簡単に紐解いただけでも、確かにそこには世相がはっきりと反映されている。贅沢が許されなくなった時代から、贅沢が異様に溢れてしまった時代を経て、贅沢に様々な形を見出すようになった時代…戦争の足音が迫る中でも夢の「西洋」を描こうとした帝国ホテル、バブルの大きな夢の舞台装置になっていた赤坂プリンスホテル、そして今を生きる私たちに様々な夢を与えてくれる高級な外資系ホテルの数々。フェスティブシーズンの華やかな雰囲気のなかで恋人とのプリミティブな愛情を確かめあうとき、そんな歴史の流れのなかの1コマに自分たちが存在しているという事実にふと思いを馳せてみるのも悪くはないものである。
- 1
- 2