旅の自粛と老子の言葉と

昨今の社会情勢を受けて、私も公的な用事からプライベートなことまで様々な予定をキャンセルする毎日を過ごしています。大きなものだと7月に行く予定であったモスクワでの仕事もキャンセルになり、その帰りがけに捻出できる時間を利用して欧州の素晴らしいホテルを巡る計画もすべて取りやめることにしました。また各地への出張や細々とした旅行の予定もあったのですが、そちらも止めました。

普段私はあえて社会情勢について積極的に語ることをしないようにしています。政治的な判断の如何や内外の事件について考えたり思うところも多いのですが、自分の中ではそれらと旅行やホテルの話題を切り離して置いておきたいと思うからです。しかし情勢の悪化を受けて、しばらく(その長さがどれくらいかは定かではありませんが)そうした愉しいホテルや乗り物からは離れざるを得ないと思うに至り、いま考えていることを書いてみたいと思いました。

知足不辱 知止不殆

いま私がふと自戒の念と共に思い出す老子の言葉に「知足不辱 知止不殆」があります。

「足るを知らば辱められず、止まるを知らば殆うからず、以て長久なるべし」と訓読されるこの言葉は、老子の第44章に登場するものです。特にこのなかの後半部分、止まることを知っていれば危険を避けられ、長らえることができるという部分は昨今の情勢のなかで示唆的です。

老子はこの前段で、身体と財産はどちらが大切だろうか、何かを得ることと失うことはどちらが苦しみであろうかという問いを投げかけます。そして「極端に貯め込むことは必ずひどく失うことになる」という警告を発しています。2000年以上も昔の思想がいまもって鋭く響いてくることを感じるとともに、人間の本質的な部分はいつになっても変わらないような気もします。

このページをお読みくださる皆様はご存知のように、私は日頃からホテルステイを満喫することをなによりも楽しみにしているのです。しかしいまは「知足不辱 知止不殆」を心に刻む毎日です。「足るを知る」ということは、自分の欲のあり方を見つめてみることです。快適なホテルステイも愉しい乗り物の旅も非常に心惹かれるものですが、コロナウイルスに伴う社会不安によって、それらが完全に奪われてしまったわけではないことをまずは念頭に置きたいところです。つまり、いまは難しくとも、将来にそうした旅の喜びを享受できる可能性は常に開かれています。だからいまはしばし「止まることを知る」ことを実践し、危険を避ける生き方をしなければならないと思うのです。

なお老子は柔らかくしなやかな生き方を理想とした思想家であり、いまの時代においても含蓄のある数多くの言葉を伝えています。老子は「上善如水」というように、水を最も善なるものとして捉えています。川の水のように、下へ下へと争うことなく流れていき、その形を自由に柔軟に変えていく。不必要に争うことなく、柔らかくしなやかに。そしてそのような柔軟な水も集まると、重い岩を動かしたり、山の形を変えてしまったり、驚くべき大きな力にもなります。

ときに耳を塞ぎたくなるような酷い言葉で無益に争ったり、批難が重ねられたりしますが、柔軟かつしなやかに、あらがうことのない穏やかな毎日を過ごしたいものだと思います。それがきっと状況を好転させる大きな力へと結びついていくことと信じています。

これからも旅とホテルにまつわる素敵な景色にたくさん出逢えること願いつつ…

こちらのブログもしばらくホテルの宿泊記や旅行を綴った記事の配信は止まります。数多くの魅力的なホテルへの滞在や旅の話題を通じて皆様と交流できることを無上の喜びとしている私としては、痛恨の極みではありますが、しばらくは日々の考えていることなどを綴るに留めます。また情勢が好転してきた暁には、ホテルや食事や旅のリポートを再開してまいりたいと思います。

よろしければ今後ともお付き合いいただければ幸いです。

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