鉄骨と1950年代の匂いと…ザ・タワーホテル名古屋宿泊記2023

古い建物にはその時代の「匂い」があるものですよ。どんなにそっくりそのままのものをいま作ったとしてそれだけは再現できないでしょう…

それはオーセンティックと言われたりするものかもしれません。しばしば大正ロマンや昭和レトロを再現した場所がつくられることがあります。そういう古き良き時代に対する愛着自体はとても素敵なことだと思うのですが、でもなにかものたりなさを感じてしまうときもあります。

ここで「匂い」というとき、それは時代を経てきたモノの風格という比喩的な意味だけではなく、嗅覚に訴える字義通りの匂いのことを指しています。私の愛したホテルオークラの旧本館に足を踏み入れたときのあの匂い。あるいは国鉄型特急に乗ったときに感じられるあの匂い…これらはもう失われてしまいましたが、例えば、東京紀尾井町のホテルニューオータニのアーケードや有楽町の交通会館の中を少しでも歩いてみれば、なんとなく私の伝えたいその感覚を理解していただけるかもしれません。

1960年代のビルも70年代のビルも少なくなりましたが、まだ探せばその風格を味わうことができる場所はそれなりにあります。逆に結果として都市化の中で取り残された戦前の建造物の価値も最近は正当な評価を受けて、保存や保全活動が盛んに行われています。クラシックホテルや古い建物をリノベーションしたホテルなどで味わえるあのユニークな体験は何度味わっても飽きることがありません。しかし1950年代の建物となると極端に少ないことに気づくはずです。

単純にみれば古い建物だし、かといって、クラシックと呼ぶには新しすぎる。そんな中途半端な存在なのかも知れません。しかし1960年代以降の建物とはまたちがった独特の無骨さと当時の未来に対する夢が重なり合う不思議な魅力がそこにはあるのです。

さて、なかなか「匂い」の話からはじまる宿泊記というのも珍しいかもしれません。ましてやラグジュアリーホテルのアロマのようなものではなくて、とらえどころのない1950年代の建物の匂いの話。しかし私にとっては、このリポートの最初に強調しておきたいほどに、その匂いにめぐりあえた感動は大きなものであったということなのです。場所は名古屋の久屋大通公園。ここに塔博士・内藤多仲の建てたテレビ塔をそのまま利用したユニークなホテルがあります。

気持ち良いほどの五月晴れの日。仕事の都合で名古屋を訪れました。ちょっと幅の狭い銀色に黄色い帯の東山線のホームには独特のチャイムがこだまして、慌ただしく乗り込む人たちに発車を合図していました。前日までどこかのんびりした時間の流れる奈良にいたこともあり、その慌ただしい都会の風景に対照的な世界を感じていました。人々でごったがえす栄駅に到着。階段をのぼって地上に出ると、青空と緑と噴水と…いかにも平和な公園の景色。その中央にアイコニックなテレビ塔があります。

ああ、今日は、あんなところに泊まってしまうんだ!

テレビ塔に向かう足が少し速くなっていくのを自覚しました。

どこでチェックインするのだろう…結局よく分からずに展望台へのエレベーターの案内員にもうひとつの入り口があることを教えてもらったのでした。知らないことがあるって素晴らしい。

ホテルロビーに向かうエレベーターはとてもコンパクトな入り口から出発。シースルータイプで気分が高まります。とても狭いロビーのとても狭いカウンターでチェックイン。さっそく部屋に向かいます。

このときでした。私はまったく思いがけない形で驚くほど感動したのです。

ああ、ここには「匂い」が残っている…!

それは間違いなく私がずっと忘れていた1950年代の建物のもつ匂いでした。驚きました。リノベーションした建物なのですっかり新築のような匂いがすると思ったのです。でもここにはたしかに時代を超えた60年以上前の建物の(比喩ではなく)あたたかい独特の匂いがあります。

もうそれだけでもこのホテルを宿泊先に選んでよかった、と思ったほどです。

インテリアのデザインはヴィンテージに寄せた21世紀スタイル。でもさほど高くない天井とそこかしこに見える昭和20年代。その極めつけに本当の50年代の建物の匂いが私の意識をタイムマシンに乗せるのです。東京タワーよりもさらに古い1954年開業。敗戦からわずか9年後。さて2023年から9年前といえば…つい最近のことのようです。きっとまだ荒廃の記憶は生々しく、そこから立ち上がったばかりの名古屋の街に希望に溢れる未来を予感させるタワーであったに違いありません。その時代の人々にとって未来であった21世紀のいま、まさかここがホテルとしてひとりの旅人を受け入れていることを誰が想像したでしょうか。そしてそのことを思うと、ますますこのホテルに泊まれることが格別の贅沢であるように思えてならないのです。

案内された部屋の扉を開くと、リベット打ちの鉄骨がまず目に入ります。正直、導線としては邪魔になりそうですが、いま自分は歴史あるタワーの中にいることを意識させられてとても良いですね。

今回滞在するのはPark Corner Suite。タワーの展望台部分を客室にしているので、そのユニークは配置に合うような部屋の構成になっているわけです。ジュニアスイートタイプでキッチンやハイテーブルが置かれているのも特徴的です。窓の外はオフィスビルに囲まれています。

この部屋の名前にParkとついているように、まさに景色は久屋大通公園ビューです。とてもおしゃれな雰囲気のお店が道路と道路のあいだの広い公園に点在していて、また気分が高まります。都市計画の良し悪しを安直に断じることはできませんが、主観的には、これは大成功なのではないかと思います。少なくとも私は公園とタワーと周辺の整然としたコンクリートのビルディングの間にある人工的であるがゆえの不思議な安心感と高揚感を胸いっぱいに吸い込んだのでした。

そんな公園をまさに「展望」する場所に置かれた大きなふかふかのベッド。アーティスティックな椅子。空間を邪魔しないように天井に設置されたテレビ。じつに大胆かつユニークな部屋です。

ダブルシンクとバスタブとシャワーブースという(ジュニア)スイートルームの配置としては、標準的というか及第点というか、ただ快適に利用できるという感想を持つのみですが、ユニークなのはその真ん中にもタワーの鉄骨がまるでオブジェのようにガラスに取り囲まれて配置されていることでしょう。

鉄骨と歴史を語り合うバスタイム…そんなことは、そうそう、あるものではありません。

部屋でしばらく独特のインテリアにみとれていると、ウェルカムスイーツが運ばれてきました。ノンアルコール党かつ甘党である私の気持ちを撫でまくるプティフールと上質なお茶のペアリングでした。プティフールのひとつひとつの質も高く、キリッと冷やした煎茶やほうじ茶と気持ち良いくらいによく合いました。

さてプティフールだけではなくて、もう少しなにか食べてみたい。タワーの下に降りると、これまたなんともおしゃれなカフェが鉄骨の下にあるではないですか。また水辺の空間を挟んで両側にも雰囲気の良い美味しそうなお店がずらりと並んでいる…洗練された都市公園に私が求めるものがここにある。もちろん大通公園から少し歩けば個性的な路地に色々な店もありそう。そしてそんなところにこのタワーホテルがある。グランドホテルではないけれど、この街と不思議な一体感があって、こんなにもレトロと洗練が混ざり合った名古屋の魅力に触れられた私はとても幸福だったと言えるでしょう。

そんなわけでタワーの下でホットドッグを買って、展望台であり自分の部屋でもある(こんなことを言えるのがまたなんともよい)場所で快晴の公園に憩う人たちを眺めながら食べました。部屋の冷蔵庫にはコンプリメンタリーのアランチャータやグアバジュースが用意されているのも嬉しかったのです。そのあとで所用のために外出して、戻ってくるときに、タワーホテルのそばにあるメキシコ料理にも立ち寄ってみたのです。良い意味で肩の力の抜けた店員さんからおすすめのメニューやタコスのこだわりを聞きながら気楽な夕食を済ませ、もちろんフラン(これがまた絶品)は忘れず、すっかり気分をよくして再び部屋に戻りました。

部屋にもどる途中で再び1950年代の建築物の匂いが…ああ、こんなにモダンなのに、こんなにもレトロという良い意味でのあいまいさ。部屋から見る久屋大通公園周辺の夜景はぎらついていて、でもどこか落ち着きがあって、なんとなくぼんやりしていました。

シャワーを浴びたら、再び冷蔵庫のなかの冷たいものでも飲みながらアーティスティックな椅子に座ることにしましょう。音楽でもかけましょう。少し懐かしいメロディを…あとは少し早めに寝ることにしましょう。

翌朝早く目が覚めたら、フロントのスタッフにお願いして秘密のエレベーターに乗りましょう。その詳細はあえてここで明らかにしませんが、まさかそんなところに、というエレベーター。どこか無骨なシースルーエレベーターが鉄骨の間をすり抜けるように上へ上へと昇っていきます。

早朝。日の出の時刻。まだ名古屋の街は眠ったままです。それになにしろ高層展望台には私のほかに誰もいません。ホテル宿泊者だけがこの時間帯の高層展望台に来ることができるようになっているのです。おそらく普段はそれなりに観光客のひとがここを訪れているはずです。そんな場所を独り占めしてしまえることのなんともいえない優越感。そもそも展望台に泊まれるということだけでも面白いのに、こんな特別な体験はここにしかないものでしょう。

高層展望台のさらにうえには鉄骨と金網にかこまれているものの、屋外から名古屋の街を見渡すことができる「ルーフトップ」まであります。早朝の静かで澄んだ大都市名古屋の空気。音。私だけの世界。青空がまぶしくて、人工的でどこかレトロな空間にひとり佇むという不思議な時間でした。思わず時間が経つのを忘れて景色を眺めてしまったことは改めて強調しておきましょう。

さて、ここで白状しましょう。じつは私は勝手にここのホテルの朝食はたいしたことはないとあまり期待していませんでした。ライフスタイル系のホテルだからアボカドトーストとか、斬新なパンケーキとか、そういうものがあったらいいのに、あえて和食…そんなイメージを持っていたのでした。まあ、とはいえ、景色は良さそうだから、それを眺めながら味わえば、和食でもそんなに悪くないかもしれない…と、そんなことを考えていたのですが、最初に鰹のたたきをを一口。だし巻き卵を一口。あれ、これはなんだろう。想像のはるか上をいく美味しさではないですか。それらのみならずひとつひとつのものからとても丁寧に作り込まれた旨味を感じさせられて、とても驚きました。

さらにユニークなのは、トレーに載せられて、不思議な小瓶がいくつも運ばれてきました。これはまさかモレキュラー調理でもはじまるのか、と思っていたところ、醤油のコレクション。塩気やキレ、コク、また出汁の濃淡、水へのこだわり…嬉しいのが、どちらもこの中京圏ならではの醤油を用意してくれていることです。迷いますね…どうしましょうね…そんなことを言っていたところ、それでしたら、おすすめをふたつどうぞ、と言って2種類の醤油を食べ比べることにしたのでした。

もちろん醤油をそのまま飲むのではありません。炊き立てあつあつのご飯に栄養満点のたまごをかけて、そして味を整えるために醤油を数滴垂らすのです。もうこれは至福です。キレのある醤油で引き締めてみたり、もうひとつもらったトリュフ入りの出汁醤油の奥深い香味とまろやかさを楽しんだり…これは全種類食べてみたい。たまごかけご飯の奥深さを感じずにはいらせません。それと同時にライフスタイルホテルでもこんなアプローチがあったのだと色々と感心してしまったのでした。

徐々に名古屋の街も目覚めて、活動がはじまりかけたころ、小菓子とコーヒーが出てきて、食後のひとときを久屋大通公園を望む特等席から眺めていました。

ほどなくして東京に戻る時間。昨夜公園からみたイルミネーションに輝くテレビ塔と昼の青空。今日もとても良い天気。それにしても改めて個性的で魅力的なホテルを見つけた日の翌朝というのはなんともいえない良いものですね。気分が明るくなります。それはまた今度ここにきたらどんな体験が待っているのだろうという気持ちに結びついているにちがいありません。タワーホテル自体はSLHに加盟していることからもわかるようにスモールラグジュアリーホテル。前日に泊まったNIPPONIA HOTELも同じように、小さくて、地域の文脈を背負っていて、独自の宿泊体験を実現しようというスタッフの努力やホスピタリティを感じさせられるホテルでした。

私はまだしばらくは、このような個性的なホテルに魅了され、訪ね歩く日が続きそうです。ホテルはまだまだ奥深く、日本の旅もまだまだ無限大の可能性に開かれている。気持ちが走っていきそうになるのをなんとか抑えながら、日々、更なる個性的なホテルの体験を探し求めるのです。

新幹線に乗ると東京はあっという間に着いてしまいます。また日常に戻っていきます。しかし車窓にちらりと東京タワーが見えたとき、同じ内藤多仲の手がけた全国のタワー(通天閣も札幌も!)を思い出し、その元祖といえる名古屋を思い出しました。また泊まりにいこう。今度はタワーホテルと一緒にあの店にも行ってみたい、せっかくだから誰かに会ってみたい…そんなことを想像することもまた豊かな旅のあとの時間と言えるのです。

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