これまでの伊豆北川「望水」の客室や温泉などについてリポートしてまいりました。
温泉旅館の魅力を決定するのに欠かせない要素は、客室・温泉そして料理だと個人的には思います。ホテルステイの場合は、食事の選択やスパ(温浴施設の意味で)はオプショナルなものになるので、これらを抜きにしても良いホテルとしては成立してしまいますが、旅館の場合は、やはりトータルで良いものとなっていなければ良い旅館とはなかなか言いにくいのではないかと思います。
およそ旅館での食事は、当地の名品や季節の味わいをいかに活用するのか、という点でその旅館らしさが出てくるのではないかと思います。多くの場合は和食ですが、素材を生かしてあまり味付けを複雑にしないものもあれば、徹底して手を加えることでその素材の潜在能力を引き出すようなものもあります。望水の場合はどちらかといえば、前者の要素が強いということが、いくつかオンラインで見られるレビューでもみられますが、果たしてその実態はどのようなものなのか、私の視点からお伝えできればと思います。
夕食「磯懐石」
望水の夕食はいくつかの選択肢があるのですが、我々が選んだのは、スタンダードな「磯懐石」と呼ばれるものです。いくつかのメニューをオプションで選ぶことができるのですが、こちらの旅館の名物として売り出している「ここならでは」の料理を網羅している「磯懐石」の方が個人的には魅力的に思えました(オプションの金目鯛のしゃぶしゃぶや伊勢海老などは伊豆半島の各地でも堪能することができます)。
望水の食事は夜も朝も自室での提供となっています。昔ながらの旅館のスタイルで好ましいと思います。こちらの「磯懐石」のメニュー内容などは事前に公開されておらず、当日の食材の入荷状況によって変わっているようです。
右手の梅豆腐は出汁の効いた餡がかかっていて、さっぱりとしつつも深いコクのある味わい。料理はファーストインプレッションが肝心かと思いますが、これは素朴ながらも丁寧な仕事をされているな、という感じがして期待が高まります。また左手にある6品目もそれぞれが個性的なものでした。サザエを香草焼きにしてみたり、海鼠に酢味噌で和えたりといった一手間を加えてありますが、基本的には素材の風味を生かしたもの。
レビューでも見られるように強い個性はありません。しかし個人的には丁寧かつ優しい味付けでとても好ましい印象を受けました。
続いて刺身です。さすがに漁港だけあって鮮度の高い食材が並びます。この日は鮪や栄螺に加えて、真鯛やホウボウといった白身魚が出されました。
鮪はどこで食べても美味しいけれど、かといって、なかなか感嘆するほどの美味しさには出逢えない、そんな印象が個人的にはありますが、ここでもそれは当てはまりました。美味しいけれど個性はない。むしろ際立ったのが白身魚の美味しさ。ホウボウにしても真鯛にしても、ただ食感が良いというだけでは言い尽くせない、やわらかな甘みにふわりと続く余韻がとても心地よく舌に残るものでした。
磯懐石の特徴のひとつとして出てきたのが、こちら鮑を熱石の上で焼き、さらに上からガラスの蓋をするというもの。こうすることで全体が蒸されて、香りも食感もより良い状態となるといいます。
石焼き+蒸し焼きを終えるとこのようになります。仲居さんが殻から手際よく外してくれました。これをバターと醤油という極めて素朴な味付けで頂くのですが、とにかく鮑の身が柔らかく、しかし、ふにゃふにゃになるわけでもない絶妙な食感でした。また素朴な味わいゆえに、鮑のもつ磯の香りが引き立ってきて、海沿いの温泉旅館の定番といえば定番なのですが、なぜそれが定番であるのかを妙に納得させる味わいといえましょう。
続いて金目鯛の炊き合わせです。伊豆で取れる金目鯛は「地金目」として、外洋のものと比べても、味わいの深さで知られています。ここに海老芋などが合わさることでまろやかな風味を実現していました。金目鯛はやはりしなやかな口当たりのあとに、しっとりとした甘みと出汁の味わいがふわりと広がるものであり、名高き「地金目」をまさに感じるものでありました。
これらの料理を堪能するかたわら、トマトを入れた割下で食べるすき焼き鍋が用意されています。しばらく前にトマト鍋がブームになったのですが、単に酸味や甘みだけでなく、トマトからは良い出汁が出るためではないかと個人的には思っています。この割下もトマトの出汁が効いており牛肉の味わいがより深いものになっていました。そしてもちろん入っているトマトも堪能することにしましょう。
最後に笹の葉に包まれた五穀米がでてきます。柔らかく振られた天然塩が効いており、それぞれの穀物のもつ香ばしさやリズム感あふれる噛みごたえがとても楽しい逸品でした。
さてこのように総じてみると、意外と食事の量は多すぎることもなく「腹八分目」くらいになるのですが、一品一品が丁寧に考えられた味わいであると思いました。また余計なものでごまかすことなく、地元の食材の味を正直に表現させていることもあり、宿全体の雰囲気に通じる好ましさとも通じるものを感じることができました。
朝食
続いて望水の朝食についても見ていきましょう。ホテルと違い旅館の場合は食事の時間が予め決められているので、このあたりはやや好き嫌いが分かれるところかもしれません。個人的には、ときにはこのような「規則正しい」生活リズムのようなものがあってもいいかと思います。
朝食はこのように籠盛りのような形態ででてきます。右側には自家製のヨーグルトも用意されています。
籠盛りの中はこのようになっていました。サラダは醤油ベースの和風ドレッシングとなっていて、味付けは無難であるものの野菜の鮮度は高く十分美味しいものでした。そのほかしらすや香の物などは特筆すべきところはないものの王道的な味わい。また中央にある蕎麦は、伊豆特有のやや甘みの強いわさびにとろろが合わさって、ひかる個性を感じさせるものでした。
また焼き魚は前日のうちに注文を取りに来ます。金目鯛やかさごといった数種類の魚の干物から1つを選ぶことができるのですが、私はかさごを選びました。これを奥にある陶板の上で簡単に炙っていただきます。単に脂が乗っているのみならず、もちっとした身や塩加減に到るまで非常に質の高い味わいだと思いました。
またこの旅館の朝食の特徴のひとつとして、熱した石を味噌汁にジュワッと投入することで、具材の旨味が濃縮されるという「浜っ子汁」というものがありました。類似する調理法はじつは全国各地で見ることができるように思いますが、いずれにしても魚のアラや渡り蟹の持つ味が白味噌と共に一気に熱せられて、軽やかな香りと共に口に入れると強くパンチの効いた味となって現れてきます。
またこちらの旅館では生海苔を下から熱することで、ぱりぱりの状態で提供しています。これが非常に美味しいものでした。先ほどの味噌汁に入れても海苔の香りが際立つし、つやのある白飯と一緒に食べても両者の個性が打ち消しあうのではなく、ほどよく溶け合って、とても満足度の高いものになっていました。
夕食の「磯懐石」も朝食もどちらもこのように堪能したのですが、全体を通して言えるのは、素材の味わいを必要以上に引き出すこともなく、かといって素材同士を組み合わせて新しい味わいを実現しようとするのでもない、素材に対して「従順」という印象を感じるものでした。悪く取るならば、面白みのない食事というレビューになってしまうかもしれませんが、個人的にはむしろその「従順さ」を「素直さ」と捉えたい、と思います。つまり素材本来の味をなるべくゲストに強く記憶に残してもらいたい、そのような意図を感じさせるものだったと思うのです。
望水のスタッフの方たちの印象にも通底しますが、この「素直さ」がこの宿の特徴だと思います。その感覚はおそらく料理にも通底しているのでしょう。私はこれを大変好ましく感じました。また自動車を翌朝までに簡単に水洗いしておいてくれるなどの、ちょっとした気遣いも嬉しいものです。
都会の洗練された高級ホテルも素晴らしいけれど、ふと客室で珍しく朝早く目覚めて、伊豆大島の向こうから昇る太陽を見つめながら、我を忘れていくような、そのような素朴な感動。そして宿全体から「素直さ」を感じさせられるような宿泊体験。時にはこういうオーソドックスな温泉旅館も良いものだと思いました。