奈良ホテルのティーラウンジでロイヤルミルクティー

時代を超えて愛されるホテルの魅力は語り尽くすことができませんが、その一片を取り出して、愛でるように語ることはできると思います。関西を代表するクラシックホテルのひとつに奈良ホテルを数えることに疑いのある人は少ないでしょうけれども、このホテルのラウンジはさほどよく知られた存在ではないかもしれません。

JRや近鉄の奈良駅からもやや距離があるので、疲れていればタクシーで。あるいは鹿や観光客を傍に見ながら興福寺や猿沢池などを散歩しながらホテルに向かうのも悪くありません。奈良ホテルは丘の上にあり、周辺には「ならまち」のような伝統的な街並みを感じさせる景観もあり、このまちの歴史の長さを感じずにいられません。

奈良ホテルの建築様式は和洋折衷ですが、かなり「和」の要素が強く出ているように思います。車寄せもかなり立派なもので、エントランスに向かって伸びる赤い絨毯が格式の高さを物語っています。

長く幅の広い廊下、そして天井もかなり高い。少し偏った見方をすれば無駄の多い空間ともいえますが、やはりこのような「偉大な無駄」がいかにも「名門」らしく思われてきます。そういえば、場所も年代も異なりますが、ホテルオークラの旧本館にもこのような「偉大な無駄」な空間がたくさんありました。

右手に見えているのはホテルショップです。また壁には数多くのこのホテルの歴史を証人である写真や資料が飾られていて、さながら資料館とか博物館のよう。このホテルに滞在することの意義のひとつには、その歴史を五感で感じられることにあると言っていいでしょう。

いったいどれくらいの人がこの空間に足を踏み入れたのか。その人はどんな人で、どんなことを思っていたのか。歴史が長く、また創業当時からの建物が残っているホテルはたくさんの想像をかき立てます。この奈良公園に面した部屋もまたそのような趣のある部屋です。マントルピースに古ぼけたピアノ。空調のためとはいえ巨大な冷房器具が置いてあるのは、やや趣を損ねてしまっていますが、この不思議なアンバランス感もまたこのホテルの「いま」という時代の欠片にすぎないと思ってしまう魅力があります。

さてここまでこのホテルのことをここまで述べてきておいて、あたかもここに宿泊するのかと思いきや、今回はそういうわけではありません。ふとここのティーラウンジに立ち寄りたくなったのです。私にはそのような、特に用事はないのだけれども、ふらりと訪れたくなるホテルの空間というのがいくつかあります。例えばそれは、グランドハイアット東京のプールだったり、帝国ホテルのランデブーラウンジだったりしますが、奈良ホテルのティーラウンジもそうした求心力のある場所です。

店の中もまさにクラシカル。木の天井に漆喰壁。そして赤い絨毯に赤い椅子。このような色使いはモダンなホテルには似合わないのはもちろん、下手に手を出すと野暮ったさしか残らないインテリアコードだと思います。このホテルには野暮ったい部分も多少ありますが、しかしそれを上回る歴史に裏打ちされた名門としての矜持を感じます。こちらのティーラウンジのスタッフの方は最新の高級ホテルのもつ洗練されたものとは異なりますが、いつも親切で感じの良い応対です。

なおこちらの空間は夜はバーになるようです。私は昼にしか来たことがありませんが、夜は夜でまたなんともいえない魅力を持つのでしょう。空間も広くないので、なんとなくアットホームな雰囲気になるのではないかと想像します。

こちらのティーラウンジにはこのような外に面したサンデッキのような場所もあります。こちらはおそらく創建当時のものではなく、増設された部分かと思いますが、差し込む陽光が心地よいのであえてこちらの席を選ぶのも悪くありません。私はこちらを選びました。

どうしてクラシックホテルに来るとロイヤルミルクティを頼みたくなるのでしょう。東京ステーションホテルのロビーラウンジでも、他のものを注文すると心に決めていたのに、ついついロイヤルミルクティを頼んでしまうのです。今回注文したのはストロベリーロイヤルミルクティ。紅茶にストロベリーの香りがついていて、ミルキーな口当たりのあとに甘酸っぱい苺の香りが広がる一杯でした。

以前にこのホテルのラウンジを訪れたときも、いまと同じような心境だったのでした。なんだかもやもやした気持ちが晴れないのに、やるべきことや向き合うべきことは数多くある。そこであえて無駄なことをしたくなるようなそんな気持ち。あのときも東京から大阪に向かう途中で、わざわざ名古屋から近鉄に乗り換えて、乗り継いで、奈良までこのロビーラウンジでくつろぐためだけにやってきたのでした。今回は大阪から京都に向かう途中でわざわざ奈良に立ち寄りました。

私たち変化の中で日々を過ごしているようでいながら、実際には、小さな変奏を抱える単なる反復のなかで生きているにすぎないのかもしれない。そんなことをこの「偉大な無駄」の多い空間を持つ歴史的なホテルで思案していました。忘れた頃に私はまたこのホテルに戻ってくるでしょう。そしてそのときには今日と同じような「反復の推測」をしているかもしれません。

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