本当は毎日書きたいと思っていたのです。少なくとも1週間に1回は。いや、仕方ない、2週間に1回書けたらそれでいいや…ところが、日常のさまざまなことをこなしているうちに、あるいは、そんなことを言い訳にしながら、ついつい更新の手が止まり、1ヶ月に1回、より正確には、1ヶ月半に1回くらいの更新頻度になってしまいました。Twitterではしばしばホテルの滞在を綴っていました。そしてそれで満足した気でいたのでしょう。しかしもう少し紙幅を取ってホテルに対する印象を書いておきたい想いは日に日に募り、ようやく重い腰を上げ、より正確には怠惰な心を拭い去り、ブログを開くことに成功しました。編集画面にはむやみやたらと同じアルファベットが重複したスペルミスに特徴づけられた無数の英語のスパムコメントが待ち受けていましたが、それらをひとつひとつ丁寧に削除し、整理して、すっきりとした心境になったところでページを閉じてしまう誘惑を慎重に退けながら、私はいまここに至ったのでありました。
みなさま元気でお過ごしでしょうか。
毎回このような枕詞を付すことは避けたいのですが、私は当面このような状況が続きそうで、せめてこのブログが「季刊」にならない程度には、自らのホテルステイを綴る機会を設けたいものです。そう宣言しておきながら、今回の内容はひとつのホテルにフォーカスせずに、まさに「季節」で区切って、今年の夏に私が泊まってきたホテルを振り返ってみたいと思います(もしこのスタイルで書けそうであれば、今後はそのような方針にするかもしれません。しかし状況は変わり続けるので、あえてこのように括弧に入れて、断言を避ける慎重な言い回しにしておきたいと思います)
前置きが長くなりましたが、時計の針を少し戻して、ホテルステイの記憶を振り返ってまいりましょう。なお複数回泊まっているホテルもあるので時系列はバラバラです。
グランドハイアット東京
それは酷暑日のことでした。高層ビルのエアポケットのような場所にあるグランドハイアットのレストランエリアの一角には赤い「氷」の文字が涼しげにたなびいていました。久々にパートナーとふたりで都内のホテルに泊まることになったので、せっかくだから思い出深いこのホテルのスイートルームに久しぶりに泊まることにしたのでした。
ディプロマットスイート。彼女とまだ出会ったばかりのころに、その友人と3人でこの部屋で漫然と話をしていったっけ。そんなことを思い返しました。あのとき、そういえば、ふたりが生きてきた世界と自分が生きてきた世界の間には、なんだか超えがたい距離があるように感じたことを急に思い出しました。聞いている音楽。飲んでいるワイン(私は飲めないのです)。あるいはパートナーの私と一緒のときとはまったく違うような会話のテンポ。そんな違いの積み重なり。いまから思い返せば、それは小さな問題だったのに、あのときは大きなものに思えた。誰かと一緒に過ごす時間が長くなればなるほど、その人とのあいだにあった違いの濃さは稀釈され、気づいた時には、ほとんど味を感じないほどに自然なものになっていくのなのかもしれません。
僕は飲まないけれど、かき氷でも食べに行こうか。あなたがいて、わたしがいる。「わたしたち」であるべきということから解放されてはじめて、ふたりでいることの居心地の良さに気づけたように思っています。願わくばそのような自由な心境でずっと過ごせますように。照りつける太陽と青空の下、コンテンポラリーな部屋から東京の街を眺めて、そんな想いに浸っていたのでした。
ウェスティンホテル横浜
みなとみらい、とはいいつつも、どちらかといえば、桜木町とか野毛山とか、そちらのニュアンスを強く持つ港町をあまり感じないホテル。実際にロビーエリアもストーンやグリーンなどを多用したボタニカルな印象を与えるインテリアとなっています。
はじめての滞在はパートナーと一緒に。私にとってもうひとつの故郷ともいえるほど愛着のあるこの横浜の街を散策したのでした。みなとみらいもだいぶ変わりました。もともと空き地だった場所には、知らない間におしゃれなカフェやレストランや高層住宅。裏ぶれた倉庫だった赤レンガ倉庫もすっかり綺麗な観光スポットになり、いまや汽車道の上にはロープウェイまで。そんな変わりゆくこの場所。彼女の目にはどのように写っているのだろう…そんなことを考えていたのでした。
新しいホテルゆえの客室の快適性は言うまでもなく、水圧がやや弱いと感じた以外にはまったく不満はなく、横浜での滞在に有力な新しい選択肢を加える素敵なホテルができたと感動したほどです。とりわけベッドの心地よさはさすがは安定のヘブンリーベッドと思わされました。
別の日。外はずっと雨が降っていました。仕事の帰りにチェックインした部屋。ちょうど桜木町駅の方の夜景が、植物のようなメタリックな飾りのついた窓越しに見えました。さまざまな光を描くように走りゆく電車や車が夜通し途絶えることはなく、みなとみらいの超高層ビルの明かりや小高い丘に無数の住宅がどこまでも広がるこの大都市の光。それらが渾然一体となってまるで未来都市に飛んできたかのような錯覚を覚えたのでした。ヘブンリーベッドに横になりながら、見慣れたはずのこの街の、まだ知らない姿を見せられたような気がしたのでした。
翌朝も雨でした。思えばまだ晴れの日のウェスティン横浜の姿を私は知りません。いつかまた近いうちに。そんな想いを抱いているのが、このホテルに私が魅せられているなによりの証拠なのです。
アロフト大阪堂島
花火大会でもあったのでしょうか。浴衣姿の若いカップルがたくさん周囲を歩いているなか、私は疲れを隠しきれない足取りで大阪駅から堂島まで歩いていたのでした。疲れているならタクシーに乗ればいいのだろうけれど、なんだかこの短い距離を歩けないほど疲れていないと信じ込みたいのか、それとも私自身のまち歩き好きなメンタリティがそうさせたのか、いずれにしても、蒸し暑い夜風がビルの谷間を抜ける中をとぼとぼと歩いてみたのでした。
あまり長い滞在というわけでもないし、コンパクトで使いやすく、またある程度の快適性もあって、なおかつひねりの効いたホテルに泊まりたい…そんな気分になったときに、私は決まってマリオットのアプリを開いてしまいます(もちろんラグジュアリーな気分になっているときも開くのですが)。モクシーもいいし、アロフトもある、すっきりとしたコートヤードも…などと迷う中で、あのレトロフューチャーな空間に身を置きたくなったのでした。エントランスのギラギラした自動ドアと天井の鮮やかな色合い。でもかつてここにあった堂島ホテルらしいクラシカルな趣もどこかに残した不思議な空間。一晩にもかかわらず、いや一晩だからこそ、そんな空間の面白さに魅せられたのかもしれません。
エースホテル京都
今夏最も気に入って泊まっていたホテルのひとつだったかもしれません。最初は2年前の夏真っ盛りのときに滞在したのですが、それからというもの、夏になると泊まりたくなるライフスタイルホテルという個人的な評価が確立しつつあります。なんというか、春のほんわかした気分でも、秋の憂愁めいた美しい気分でも、冬のぴりっとしつつあたたかい気分でもなく、うだるような暑さのなかで、汗をかくこともいとわないようなアクティブな気持ちになりたい。そんなムードになるホテルといえるのかもしれませんね。少なくとも私にとってはそうなのです。
なんといってもこの新風館のアイコンともいえる旧京都中央電話局の建物のリノベーションルームがすばらしい。高い天井。控えめでいてとびきりおしゃれな家具。座り心地のよい椅子。調律されたギター。レコードプレーヤー。それに通りに面していて、低層階で大きな窓と来れば、じつに生き生きとした京都の生活風景(観光向けではないオーセンティックな)をまじまじと眺められます。この絶妙なバランスの上に成り立っているホテルだからこそ、私はこれまでに感じたことのないような居心地の良さを味わえるのだと思います。こちらの滞在はもっぱら烏丸御池での仕事とセットだったのですが、クラブミュージックがガンガンかかっているロビーを抜けて、この落ち着いた部屋に戻ってくると、その非日常性で日常の鬱憤を打ち落とすような痛快さがありました。夕陽が落ちる頃にPiopikoに行って、タコスとモクテルでひとりのささやかな打ち上げ。スタッフはいつもにこにこと話しかけに来てくれました。そんな小さな豊かな交流にもたくさん救われたのでした。夏は過ぎていったけれど、違う季節にこのホテルを訪ねたらどんな雰囲気なのだろう。興味をそそられています。
ホテルインディゴ犬山有楽苑
ふたつの国宝に隣接する特異な立地。美しい木曽川の眺め。そんな恵まれた土地にあるこのホテルですが、じつはそれ以上に、私はこのホテルがもつどこかなつかしいあたたかさが大好きなのです。話好きなスタッフと色々話したせいもあるのかもしれませんが、洗練という名の冷たさ(そして個人的にそれはあまりラグジュアリーと感じませんが)とは、正反対の親しみやすさがここにはあります。もちろん空間的には新しさを感じさせますが、ここはどこまでも民芸調が貫かれているのだと思うのです。
電車が遅れていて、夕方くらいに着きました。流れる雲の速さと時代を超えてどっしり静かに佇む古城の対比がとても印象的でした。だんだんと蝉の声は雨の音に取って変わり、それがなんだか夏がもうすぐ終わることを暗示させるように思えたのでした。しかし翌朝は窓に残った雨粒に強い日差し。夏はまだもうしばらく続くようです…しばしば指摘されますが、このホテルの朝食の質は非常に高く、また量もとても多い。充実した朝食と心地の良い午前中を過ごして、東京に戻ったのでした。
HIYORIチャプター京都 トリビュートポートフォリオ
私は「食わず嫌い」をあまりしない方だと思います。好奇心のあまり妙なものを食べてお腹を壊してしまったこともありましたが、基本的には、体験をしてからそのものを評価したいと考えています。しかし、ことホテルに関して言えば、気になりつつもなかなか足が向かないところというのはあるものです。それは立地や写真やその他諸々の要素を考えると、わざわざそこに行く気が起きない、という程度のことなのですが、HIYORIチャプター京都はまさにそんなホテルでありました。半露天の大浴場があって、一筆箋が並んだロビーがあって、和モダンでコンパクトな部屋がある…でも妙にすっきりとまとまっていて失望するのではないか。しかしそれは杞憂にすぎなかったのです。
こぬか雨が降っていました。私が夜の京都に着いたときには、もう周囲は静かになっていました。部屋はおよそ期待したとおり、いや期待以上に快適に感じられました。靴を脱いでひと息つく。おそらく旅館を愛好される方はこうした裸足の気楽さに大きな魅力を感じているのではないか。そしてこの良い意味での部屋の小ささがそうした落ち着きをさらに確固たるものにしているように感じられたのです。今夜は雨でよかった。そんな包み込まれるような安心感をより強く感じられる。その日は久々に安眠できたのは言うまでもありません。
翌朝の早い時間にチェックアウト。京都の物語がたくさん書かれた一筆箋。そこには私の個人的な経験を記すことはできないものの、心の中にはあのひと晩の穏やかな時間が強く残っています。
セントレジスホテル大阪
京都をあとにした私はそのまま新幹線で大阪に向かい、本町までタクシーで。都市部にあるホテルらしく狭いのですが、その狭ささえもひとつの世界観として成立してしまうような車寄せに着くと、とても丁寧なバトラーから「おかえりなさいませ」の声。前回はバレーパーキングでしたが、こうして後部座席からゆったりと降りるのも悪くないものです。この日もとても蒸し暑く部屋に届けてもらった冷やしたアッサムティーがとても美味しく感じられたのでした。
船場の人混み。御堂筋の流れ。今年の夏は何度この街を訪ねたことでしょうか。甘く上品な香りのこのホテルのロビーにはいつもゆったりとした時間が流れています。ひとつひとつを振り返らずに日々が流れていき、ふとした瞬間にその密度の濃い時間に思いを馳せたとき、妙に人生が長く感じられたのです。実際に日々を過ごすときには人生が短く感じられるのに不思議なものです。薄められた毎日を過ごすことのないようにしたい…夜景を眺めながら、想っていました。翌朝はこのホテルに泊まると条件反射のように食べたくなってしまうエッグベネディクト。邸宅のような白亜のロビーを抜けて、今日も私は大阪から東京へ。次はいつここに戻ってこよう。そう思う瞬間が好きなのです。
ANAインターコンチネンタルホテル東京
おそらく今年になってからもっとも緊張していたチェックインでした。それはホテルに対してどきどきしていた、わけではなく、翌日に重要な会議が控えていて、気持ちが張り詰めていたのです。残暑の空の下に東京タワーを見つけましたが、景色を楽しむ余裕がこの日はありませんでした。
そして迎えて翌日。太陽の光も薄いどんよりとした日でした。フレンチトーストとコーヒーで軽く朝食を取ってから、気を引き締めて、なんとか山場を乗り越えたのでした。ちょうどティータイムの時間帯にホテルに戻ってくることができたので、クラブラウンジでひとり小さなアフタヌーンティーを楽しんでいました。そういえば、都内のホテルの中でも、私はここのラウンジはとても好きです。場所の力もあるのでしょうが、上品で国際的な雰囲気、そしてこざっぱりとした洗練。ある意味こうした緊張感のある日の滞在には最適の場所だったかもしれません。
思い返せば都内のホテルに連泊したのも本当にひさしぶり。チェックアウトを済ませ、どんよりとした日のあとに再び夏の盛りが戻ってきたような暑さの街へ…
ストリングスホテル東京インターコンチネンタル
横浜に近い場所でこもって仕事を仕上げたい、そんな理想的な部屋を探していたところ、ふと思い出して品川のこのホテルに滞在することにしたのでした。もともと予約していた部屋とは別にユニークなコーナールームを提案してくれたフロントのスタッフの感じの良い対応は、およそすべてのホテルが模範とすべきほどに完璧でした。5年ぶりの滞在ですね。そう言われて気付きました。もう前回からそんなに時間が経ってしまっていたことに。
それにしてもあらためて本当に居心地のよいホテルです。一見すると、わかりやすい華やかさには乏しいのですが、おそらくどれほど長く時間を過ごしていても飽きのこないような快適性がここには確かにあります。それは調度品の質の高さや部屋の使い方から漂う品の良い香りにまで言えることです。アトリウムでホテル全体が見渡せるのも一体的な安心感が醸成されていてとても良い。そして忘れずに付け加えておきたいのは、クラブハウスサンドの美味しさ。以前滞在したときに、ここのものを超えるものに出会うことはできないだろう、というほどに感動したのですが、その想いはいまだに変わらず、むしろ5年ぶりに食べてみて、改めてその確信を強めたほどです。ソースのコクや香ばしいターキーや甘味のあるパンや…その要素を記述することはできても、それらが一体となったハーモニーは形容しがたいほどの幸福な時間をもたらしてくれました。
光陰矢のごとし。そう、5年ぶり。そのあいだに本当にいろいろなことがありました。辛いことや忘れてしまいたいこともたくさんありましたが、旧友に再会するように、このホテルでこもって過ごした時間は私になにかしらなつかしく心満たされるものを残してくれました。次は5年後、といわず、また近いうちにのんびりと泊まりにいきたいものです。
さて、実際のところ、ここに載せきれていないホテルもあります。そして完全に秋が訪れてから泊まったホテルもすでにいくつかあります。ひとまずそのときの一枚をここに載せてみましたが、そうしたリポートはまた日を改めて。今日はここで筆を置くことにします。
こうして振り返ってみて、随分とたくさん泊まったような、でも思ったよりも少ないような…でも間違いなく言えることは、どの滞在もそのときしかない貴重なものであったということです。また泊まらなくともホテルで食事したりお茶をしたり、会ってみたかった人と会いたかった人に会える幸運にも恵まれました。そのひとつひとつの出会いや瞬間に感謝。そしてまだ会ったことのない人。会ってみたい人もたくさんいますし、訪ねてみたいホテルやまた訪ねたいホテルもたくさんあります。そんなことを考えるとき、たしかに人生は短い。しかしそうしたひとつひとつの想いと行動によって人生は濃く長くなっていく。そんな確信にも似た思いがあります。
行けるときに行く。泊まれるときに泊まる。会えるときに会う。そうしたいと思います。