日常からの僅かな逃避〜ある大阪への鉄道行路

その日は1日余計な時間を持て余していたのです。翌日の早朝に大阪での用事があるため、前日までには梅田のホテルに着きたい。しかしかといってあまり早く大阪に着いても、これといって街を歩いてみたり観光をして回るような気分にもなれない。家の中には誰もいなくて、「なにもしない」をするには冬の空気よりも乾いて寒々しく感じる。そこで私がふと思いついたのが、あえて時間をかけて大阪まで行ってみるのはどうだろうか、ということでした。

小さな頃に東海道本線を走る電車の行先の「沼津」とか「静岡」という表示をみては、そういう駅にはどんな景色が広がっているのだろうと心躍らせたことを思い出しました。そして大人になってみると、大阪まで移動するとなれば、合理性や快適性といった小難しい概念を頭に浮かべては、飛行機や新幹線をその手段として選ぶようになっていました。

いったいこの隙間はいつの間に、どのように生まれてきたのだろう?あの頃の純粋な移動への憧れはどこにいったのだろう?そんなことを問うているうちに、気付いたら、私は時刻表を調べていました。

東海道線を単に在来線の普通列車を乗り継いで行ったら、およそ10時間はかかるらしいことがわかりました。翌日に仕事があるから、という小賢しい計算が働いてしまうのは、いかにも自分が大人になってしまったことの後ろめたさを感じるのですが、確かに翌日に仕事があるのだから、疲れてしまうのは困る。それにいきおい大阪まで時間をかけて行ってみるとはいえ、あまりにも極端なのはいただけない。もちろん節約を考えるならば(そして今の私にはそれもまた必要なことである)、在来線をただ乗り継いでいけば大阪まで10000円もかけずにいくことができます。しかしある程度割り切って、ときどき特急電車や新幹線にも乗るという「手抜き」をした行程を作り上げることにしました。

改めて、旅の楽しみの半分は、こういう行程を組み上げているときにあるような気もします。

東京駅から出発

最近の都内の移動は、ほとんど自動車。ときどき新幹線に乗るとしても、駐車場の都合から品川や、場合によっては新横浜から乗ることも多かったので、東京駅から旅を始めるというのも久々のことでした。

今回の行程にぜひ乗っておきたかったのが、185系特急電車の踊り子号。引退が迫ると言われているいまや数少ない国鉄特急です。幼少期によく箱根や伊豆に行くときに乗せてもらったことを思い出しながら、東京駅で待ちます。

白に緑の斜線が入ったこの電車を間近でみると、東京から湘南へと抜ける工場地帯の雑多から、湯煙と潮風がまざる伊豆半島に抜けていく楽しい気持ちを連想させられます。この列車を第一走者として選んで間違いはなかったと思った瞬間です。

扉が開かれて車内に入ると、最新鋭の新幹線や多くの人々を載せる通勤電車にはない、ある特有の国鉄型電車の匂い。無機質で直線的な車内空間ですが、なぜか暖かいのは、この列車に染み付いた記憶ゆえでしょうか。幼少期に祖父に連れられていった熱海の海岸への日帰りの旅、きょうだいと喧嘩していつの間にか眠ってしまった夜の東京行き、あるいは大学時代の伊豆への合宿で想いを打ち明けられずにもどかしさに暮れたこと…身近でちょっと遠い列車ゆえの様々なフラッシュバックのそのなかで、私はいまの車窓を眺めていました。

1時間少々で熱海に到着。乗ってきた列車を見送って、ここからは普通列車でさらに西を目指します。小雨がふりしきる中を半島の最南端の駅・下田まで列車は走り去って行きました。他方、私の乗る熱海発静岡行きの普通列車は向かい側のホームにやってきます。

在来線で静岡まで

土日はおそらく人々で賑わうのでしょうが、雨の平日の昼の熱海駅は、しっとりと物静かでした。

特急電車から乗り換えてみると、急に簡素になった車内。次第に乗り合わせてくる地元の人たち。そして列車は出発すると、すぐに長大な丹那トンネルに入って行きました。トンネルを抜けるとそこは…雪国ではなく、晴れた静岡の空が広がっていました。折しも天気が変わりやすい風の強い日だったのですが、長いトンネルを超えた山の向こうの空の変わりように驚きます。

三島、沼津と順々に停まっていき、工場群が増えてきたと思っているうちに、富士駅に到着。ここは甲府まで至る身延線との乗り換え駅にもなっていますが、私はいったんここで下車することにしました。この普通列車を見送って、しばらくすると、もうひとつ乗りたかった列車を待ちます。

それにしても見知らぬ町の駅にある立ち食いそばってどうして心惹かれるのでしょう。しばしば私は外国の空港でも同じような思いをして、特に洗練されているわけでもないローカルなお店の料理を味見したくなります。この日は次の列車まであまり時間がなかったからパスしてしまいましたが、もし時間にもう少しでも余裕があったら、まず、まちがいなく、糖質制限を無視して注文したに違いありません。

そうこうしているうちに入線してきたのが、身延線から東海道本線に直通する特急の「ふじかわ」号。さほど長時間の乗車ではありませんが、少しゆったりと富士〜静岡間の移動ができます。三島より西の静岡県内で乗ることができる在来線の特急列車といえば、これしかありません。

さすがに平日の昼であまり乗客はいませんでした。スムースな静岡までの旅を続けていると、由比〜興津の間で少しばかりエメラルドグリーンの青い海が車窓に広がっていきます。私はもう少し青黒い海の色を思い浮かべていたのですが、思った以上に鮮やかで軽い南洋のような色合いだったことに驚きました。

清水駅に停車してしばらくすると終点の静岡駅に到着です。いつも新幹線であれば、知らない間に通過していたのか、というくらいの距離感なのですが、さすがにこの行程でくると、それなりに遠いところに来た実感があります。しかしまだまだ西への旅は続きます。在来線を乗り継いでいけば、大井川を越えて、茶畑を抜けて、浜名湖の橋を渡り…と旅情溢れる景色が待っているのでしょうが、私はここで少し時計の針を気にするようになりました。

そしていつものこちらに…ただし今日は名古屋までの移動です。静岡を出ると途中の停車駅は浜松のみ。あっという間に名古屋まで着いてしまいます。在来線を乗り継いできたせいか、新幹線のスピード感についていけない自分がいました。

日常を異化させると普段見えないものが見えてくるといいますが、まさにそのような体験。変わっていくのは景色だけではなくて、電車内の広告や人の雰囲気、そして新幹線という乗り慣れた乗り物の速さに対する感覚までも…。

名古屋からはふたたび在来線に

名古屋はさすがの大都市で、特に駅前のビルの集積や計画された広い道路など、東京とはまた違った趣の刺激がある町です。写真を撮る余裕もなく接続する列車に乗り継ぎます。

おそらく新幹線から快速とはいえ在来線の電車に乗ったのでスピード感は薄れるのではないかと思っていたのですが、特にそういうわけでもありませんでした。非常に滑らかな走りをしながら、尾張一宮・岐阜…と停車していきます。そして終点の大垣へ。ここから米原行きに乗り換えます。

明治時代に東京に出てきた私の先祖はこの大垣の駅前に旅館を営んでいた、というだいぶ前に聞いた話を思い出します。果たしていまの大垣をみてどう思うのだろうなどと考える間もなく、米原行きの列車に乗り込みます。しばらくいくと古戦場で知られる関ヶ原を超えていきます。

古木が立ち並ぶ山道を超えて米原に着くと、いよいよ西日本に来たのだという実感が湧いてきました。米原からは新快速電車に乗り込みます。京都や大阪から乗ると、まず窓際には座れないという印象のこの列車もさすがにここでは空いていて、余裕をもって席につくことができました。琵琶湖のほとりをなぞるように走り、逢坂山を超えて、京都に到着。そしてそのまま西へと飛ばし、あっという間に大阪に到着。米原から先は本当にあっという間の移動という印象でした。

東京を朝に出発して大阪に着いたのは18時を回っており、ある種の達成感を覚えました。そして私の日常は、変わっていく景色のなかに読み取れる人々の日常の営みをなぞりながら、確かに異化されたのです。人との関係に悩みながら、そしてその記憶を辿りながら、しかしまた人々の生活に触れることで、私の日常を相対化し、いまを肯定的に生きる力を与えられる。それは極めて限定的な日常からの逃避ではありましたが、活力を与えてくれるような時間でした。

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