雨の日に東海道本線15両編成普通列車の2号車に乗って、その最前部の進行方向左側のボックスシートから外の景色を眺めているのが好きです。雨粒で窓の外がぼやけてみえて、唸るモーターの音が足下から轟いてきて、くるくると変わっていく風景を見ていると、なんだか身辺雑事がどうでもいいように思えてくるのです。
さて、東京駅から乗車して、最初の停車駅である新橋から見上げると汐留のビル群。その中にはヒルトン系のラグジュアリーホテルブランドである「コンラッド」があり、ときどきふらりと訪れたい気持ちになります。
梅雨に特有のまとわりつくような陰鬱さと、雨と雨のつかの間の青空がもたらす外出への衝動にほだされて、静かに都会の海と空を眺めながら持ち込んだ仕事を片付けたくなった私は、このホテルに滞在することを検討しました。同じエリアでとても気になっているメズム東京にも足を運びたい気持ちがありましたが、調べてみると、スイートルームのレートが異様にいい(ほとんどスタンダードルームと変わらなかったのです)ことと、以前に滞在したときの快適さを思い出したことが決め手となって、結局、コンラッドを選びました。今回はそのときのリポートをしてまいりたいと思います。
チェックイン
今回も車でバレーパーキング(¥1000)にてチェックイン。
エントランスの外にスタッフが常駐しているわけではありませんでしたが、車を停めたところ、デスクから女性スタッフが全速力で駆けてきて、爽やかな笑顔で出迎えてくれました。ヒルトン的な(私の主観では)良くも悪くもニュートラルな感じで迎えられるのかと思っていただけに、この対応には正直なところ、驚くとともに、感動さえしました。
エントランスにはこのような真っ赤なオブジェ。メープルカラーのウッドウォールにストーンのロビー。なんとなくグランドハイアット東京とも共通するような雰囲気を感じさせますが、こちらの方が、ややコンサバティブな印象を覚えます。
エレベーターに乗って28階まで行くとかなり天井が高く開放感のある空間が広がります。グリッドがかなり細かく光を切り取る巨大な窓の向こう側には東京湾と眼下に望む浜離宮。奥に飾られた絵画がモダンな雰囲気を演出していました。
このフロアに降り立って少々進んで右手にはバー・ラウンジの「トゥエンティエイト」があり、左手がフロント。天井の高さもさることながら、横にも長く伸びたカウンターがグランドホテル的な印象をもたらします。最近の東京のラグジュアリーホテル一般にはチェックイン・アウトを行うフロントは、どちらかというとコンパクトな場合が多いように思うのですが、このあたりも対照的で面白いところ。
チェックインを担当してくれたスタッフはじつにヒルトン的なものを感じさせられる対応。必要なことを卒なくこなし、最上階の客室を用意してくれました。客室へのエスコートも特になし。淡々としています。そうかといって嫌な気持ちにさせられることは一切なく、良い意味で付かず離れずという感覚。
ちなみにどうやらまだ客室の稼働率はまだまだ少ないという印象。しかしプールやジムなどにはそれなりの人が多くいたように思います。
ベイビュースイートルーム
今回滞在したベイビュースイートルームは最上階の長く続く廊下を歩いた先の最南部に位置する部屋でした。
エントランスを入るとまずリビングエリア。円形のマルチテーブルにやや過剰とも思えるようなレザーチェア。テレビなどのところにはミニバーがあり、手前側にはコンセントやLANなどの設備が備え付けられていて機能的です。左側のソファはやや固めの座り心地ながら、快適性はそれなりに高いものでした。
最上階でベイビューというと、かなりダイナミックな景色が期待されるフレーズですが、この部屋に最初に足を踏み入れたときにはどことなく抑制的な印象を受けました。窓もかなり大きいのですが、全面に広がっているわけではなく、抜けるような開放感とまではいきません。しかしこのことは必ずしもネガティブな意味合いで捉えることもできません。
確かに窓から昼でも夜でも圧倒的な景色が見えるということは魅力ではあります。しかし同時に、およそホテルの客室に求めたい落ち着きの共存を追求していくと、このような「節度を保った」構成というのも悪くありません。ロケーションとしてはもっとハジけた方向に行くこともできそうなところを、あえてコンサバティブな色合いを強めているのは、どこかヒルトン的であり、このホテルの魅力でもあるように感じます。
リビングエリア以上にそのような色合いが強いのはこちらのベッドエリア。空間に対して窓の占める割合はさほど多くなく、むしろ壁に囲まれて、包まれるような落ち着きがあります。これはビルの末端部分という制約のせいかもしれませんが、あえてこのようにしているような気もします。窓の近くまで行けばもちろん東京ベイエリアの景色を楽しむことができるし、眼下の浜離宮の緑も目に優しいのですが、ほっと落ち着ける雰囲気が強く出ています。
色合いはこれも保守的な印象の強いベージュやブラウンが中心。ちなみにデイベッドがおまけ程度に置かれていますが、これも窓側ではなく、奥側に置かれていて、やや存在感が薄いと思いました。
コンラッドといえばよく知られたコンラッドベアとコンラッドダック。青色が爽やかな色合いです。全体にコンサバティブな色合いが強いこちらのホテルですが、なんとなく「青」がよく映える場所だなという気がします。部屋やフロントに差し込む光の反射が綺麗に青く見えるし、そういえば、モダン中華料理として知られるこのホテルのレストランの名前も「チャイナブルー」でした。
ベッドルームの奥には回遊性のあるバスルームがあります。ベッドを挟んで左右に扉があり、また奥のシャワールームの左右にも扉があります。手前側には円形のミラーが特徴的なダブルシンクのベイシン。広さはさほど感じませんが、それなりに使いやすい構成だと思います。ちなみに手前側にはトイレがあります。エントランス付近のものと合わせて2つなのはやはり便利だと思われます。
バスルームとして独立しているのではなく、あくまでもバスタブが置かれている構成。このあたりは好みが分かれそうですが、個人的には気になりません。壁やバスタブの白と床面の黒のコントラストが綺麗ですね。また奥の方にかかっているバスローブの生地はふわふわと柔らかく快適な着心地でした。
バスアメニティは「シャンハイタン」の「マンダリンティ」シリーズ。お茶の香りが際立つかと思いきや、トップに柑橘系の爽やかさがきた瞬間に、ムスクの誘惑的な香りが奥底から手前に飛び出してくるような感じを催させます。したがって単にすっきりとしているというよりは、むしろエキゾティックな趣がある面白い香りだと思います。使用感もさほど悪くなく、特に不満はありませんでした。
コンラッドでの滞在
少し早いチェックインだったにも関わらずスムースに部屋に案内されたあとは、持ち込んだ仕事をリビングエリアでひたすら片付けていました。食事に出かけて夜に部屋に戻ってくると、すっかりしんと静まり返って、また特有のセンチメンタルな気持ち(それが悪いわけでもない)になってきました。
落ち着いた雰囲気の客室ですが、窓の外をみると明るい東京の夜。あの纏わりつくような陰鬱さをどこか感じさせながらも、クーラーの効いた部屋の中から外を眺めているときには、さほど心に干渉してこないものです。レインボーブリッジはその名前の通りに虹色にライトアップされ、臨海部のタワーマンションの灯りと合わさったいかにも東京らしい夜景が見えます。
手前に見える浜離宮の暗さとその向こう側に見える煌々とした灯り。そのコントラストが何かを暗示するような気もしました。
今夜もひとりで大きなベッドを独占します。真ん中に鎮座しているベアとダックにはデイベッドへとお移り願いました。気付いたら眠りに落ちていて、昔付き合っていた人たちから口々に糾弾される夢をみました。私が悪夢を見るときというのは、大抵、心が弱っているときか、逆に心が活気に溢れているとき。つまり通常ではない昂奮状態のときなのですが、果たしていまの心理を一言で表現することはなんとも難しいところです。
そうこうするあいだに時計を見ると朝の5時くらい。もう少しだけ寝ることにしましょう。
6時くらいに目覚めました。日照時間の長いこの時期の早朝の汐留の高層ビル群は、独特の静けさと青さを湛えています。少し体を動かしてから身嗜みを整えて朝食へ向かいます。
エグゼクティブラウンジでの朝食の提供はなく、朝食は28階の「セリーズ」で取ることになりました。部分的にブッフェが復活しているものの、まだこれまでのような質の高い料理が種類も豊富に…というほどではありませんでした。しかしスペシャリティのロブスターのオムレツは今回もしっかりと提供されていました。卵のとろける味わいに、オマール海老とマッシュルームのフリカッセという食感とコクが加えられ、さらにビスクソースが加わることでじつに贅沢で深い余韻を与える一品になっていました。
粒感を残したフレッシュオレンジジュースやホットコーヒー、そして一緒にペストリーも楽しみながら朝食を終えます。分量は少なかったのですが、不思議と満たされた気持ちになる朝食でした。
梅雨の陰鬱さからは遠く離れたような、抜けるように爽やかな青空。浜離宮と東京湾を眺めながらコーヒーを飲み、晴れやかな気持ちでこのホテルをチェックアウトすることにします。
個人的にコンラッド東京は近隣にあるメズム東京などの最新のホテルに比べると面白みがないように思えるし、東京の他のラグジュアリーホテルと比べても、やや影が薄い印象がありました。しかし改めて滞在してみると、実に優等生的で清楚な魅力のあるホテルだと思いました。むやみに主張するような我の強さもないし、浮世離れした洗練された雰囲気というほどでもない。でも確実にゲストの心を満たしてくれるような安心感。親しみやすくもどこか凛とした趣深さや落ち着き。結局のところ、ふと戻ってきたいと思うのは、こういうホテルなのかもしれません。