そわか(SOWAKA)宿泊記・日本を強く感じる京都祇園のスモールラグジュアリーホテル

ホテルに滞在することの楽しさのひとつは、日常生活を異化させることにあるといえますが、同時に、旅先では日常生活的な安らぎを感じられる居場所のような役割を求めることも否定できません。言い換えれば、素晴らしいホテルとは、現実を忘れさせながら、心からくつろげる場所であると言えるでしょう。

京都には数多くの魅力的なホテルが次々に開業していますが、ハイアットファンである私にとって、2020年の夏にSLHとの提携で追加された祇園のスモールラグジュアリーホテル「そわか」は、とても気になる存在でありました。ちょうど出張が重なったこともあり、せっかくなので、こちらのホテルに滞在してみることに決めました。仏教の経典でも耳にすることのある、このホテルの名前の原義は「幸あれ」という意味。今回はこの古さと新しさが絶妙に溶け合うホテルについてリポートしてまいりましょう。

出張とはいえ、今回は自由の効く旅程だったので、パートナーも一緒についてきてくれました。京都駅に着くと、ホテルまでタクシーで直接向かおうかと思いましたが、ちょうど空腹感が高まっていました。そこでせっかくなのでパークハイアット京都の「京都ビストロ 」で軽いランチを取ることにしました。

徐々に人が戻ってきたためか、前に来た時よりも混み合っていましたが、運良く待つこともなく席につくことができました。今日のディナーはしっかりした内容を予定していたこともあり、軽くピタブレッドとエッグベネディクトを。野菜やハーブの美味しさをしっかり引き立てていながら、実質のある食事。ハイアットファン同士なので、またしばらくしたら今度はこのホテルに戻ってきたい、とか、先日のパークハイアットニセコHANAZONOのこととか、そんな話題を取り止めもなく交わしながら過ごしていました。

ここのレストランは全体的にカジュアルな雰囲気だし、料理のクオリティに比してかなりリーズナブルなのが嬉しいところです。集っているお客さんたちも、和やかに、楽しそうに食事を楽しんでいて、すっかりゆるやかな気持ちになり、これから仕事に向かうことを忘れてしまいそうになりました。

スモールラグジュアリーホテル「そわか」の魅力

食事を終えたらホテルに向かいます。調べたら、パークハイアットから「そわか」までは徒歩5分くらいということが分かり、荷物もあったけれど、せっかくなので歩いていくことにしました。趣深い石塀小路を抜けて、ホテルの入り口へ。周囲に溶け込むような小さなエントランスなので、注視していなければ分からずに通り抜けてしまいそうになります。ちなみにタクシードライバーには八坂神社の南門の近くというと分かりやすいようです。

石畳のアプローチから玄関に着くと、スタッフがすかさず出てきて、旅館のように靴を預かってくれます。

そのままラウンジでチェックインへと進みます。手続きを進める中で、ウェルカムドリンクに生の檸檬を潰してサイダーで割ったものを用意してくれました。シャンパンも勧められたのですが、こちらはお断りしました。

物腰が柔らかく、しかしきわめて雄弁な男性のスタッフが、このホテルの建物が元々料亭として使われていたことを教えてくれました。このラウンジは昔は厨房で、井戸(しかも現役の!)や隠し階段などの様々なものが、昔のまま、しかし現代的なこの空間に溶け込むように残されていました。

いよいよ客室へ…誇らしい数寄屋建築のこのホテルの客室は、すべてが異なる空間構成と特徴を持っています。我々が通されたのは「デラックスガーデンビュー」という部屋。

迷路のように入り組んだ廊下を少し進み、扉をひらくと、ガーデンビューの名の通り美しい庭が展開します。縁側にはこれといって手を加えずに、料亭だった当時のままの作りを残しているとのことでした。微細な波を描くような窓ガラス越しに入る太陽の光線といまだ青々とした楓の色、そして絶えず聞こえる静かな流水の音。

それは思わず感嘆の息がこぼれそうになるほどに素晴らしく、改めて日本建築の魅力を感じさせます。しかしここに現代のホテルらしい設備が加わることで、極めて快適に過ごせるようになっているのも特徴と言えましょう。

普段和室のない部屋で過ごす私にとって、畳の床を素足で歩くときの心地よさは新鮮でさえありました。しかしそれ以上に新鮮なのは、この伝統的な空間の真ん中に、どっしりとベッドが置かれてなお保たれるその全体のバランス感覚の良さです。下手をするとアンバランスこの上ない組み合わせですが、照明や客室の色合いの絶妙さによって、この数寄屋建築の趣を生かしながらも、現代的な快適さが実現されていることは感動的だと思いました。

ベッド奥の押入れには冷蔵庫やクローゼットが設けられていて、空間のイメージを崩さない工夫が見られます。ちなみに冷蔵庫の中にはワインに地酒、そしてフルーツジュースなどがコンプリメンタリーで置かれていました。

ウェットエリアに続くやや重い木の扉を開くと、すっと香ってくるのが、檜の香り。黒い壁に直線的なガラスが貼られた現代的な空間は、ベッドルームや縁側の雰囲気とは別の時代に来たかのような心地がしてくるほどです。奥の方にはシャワーブースもあり、水圧も十分。さらにダブルシンクとなっているために、使い勝手もかなり良好なのも嬉しいところです。

椿油がベースになっているバスアメニティもまた京都らしくて良いものです。特に強い印象の残る使用感ではありませんが、使いやすいものだと思います。

そわかで過ごす時間

ホテルにチェックインしてから程なく、私は仕事に出かけました。

いってらっしゃいませ。そのように靴を玄関に出してくれたスタッフに見送られ、パートナーと一緒に河原町まで歩きます。八坂神社の境内を通って、祇園の街並みを横に見ながら阪急の駅へと抜けます。修学旅行と思しき生徒たちがふざけ合っている様子や浴衣姿のカップルが睦まじく歩く様子、あるいは、年配のグループなども見えて、活気に溢れる感じがしました。河原町まで来るとさらに人の数は増えて、ここが単なる観光地ではない様々な顔を持った都市であることを実感します。私が電車に乗ってこの街をしばし離れている間、彼女はこのあたりを散策していたようです。

もう日も暮れる頃にホテルに戻ります。周囲は閑静な住宅街でもあり、涼しくなったこの時間帯にひとりで歩いていると、なんだかホテルに戻るというよりは、自宅に帰るような不思議な気持ちになってきました。暖簾のかけられた狭い入り口を抜けて、石畳の道を歩いて玄関に至ると、スタッフから、おかえりなさいませ。

出迎える声がとても心地良い、そういう落ち着きのあるホテルなのだという思いを新たにしました。そして部屋に戻ると、玄関で聞いたよりも、もっと柔らかく、親密な、おかえりなさい。

しばらく部屋で過ごしてから夕食に出かけます。本当だったらこのホテルのダイニングである「ラ・ボンバンス京都」で食事をしようと思っていたのですが、この日は定休日…そこで私が前々から訪ねたかったレストランを提案して、そこに行くことになったのでした。

タクシーで向かったのが、室町通にあるザ・ひらまつ京都。

今年の3月の開業日に一番最初のゲストとして滞在したとき以来の訪問となりました。そのときに案内してくれたスタッフがにこやかに出迎えてくれて、今回は割烹「いずみ」へ。カウンターには我々以外誰もいなかったので、実質的に貸切のようになりました。素朴で丁寧な板前さんとの会話も楽しみながら、あの日はじめてここに滞在したときのことなどを回想しました。

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あのときはひとり、いまはふたりで贅沢な食事。最初から最後まで本当に心温まる美味しい時間でした。

再びこの部屋に戻ってきました。温泉旅館などでも、静かな和室にいると物寂しくなってしまいそうになりますが、ここでは不思議とそういう気持ちになりませんでした。それがなぜかは分かりませんが、風呂上がりに電気を消して、庭から聞こえてくる静かな水の流れに耳を済ませると、とにかく穏やかな気持ちになるのです。

障子を閉めても外に薄明かり…そのまま眠ってしまいます。

すっかり休息を取って、目が覚めると朝の7時。身支度を整えたら朝食に向かいます。

ラ・ボンバンスでいただく朝食は、内容もしっかりと充実した和食。西京焼きやだし巻き卵などと一緒に、ごはんはお茶漬けにして頂きます。フルーツを目の覚めるような煎茶と共に。私は普段もっぱら洋朝食を好みますが、やはり和食もいいものだと、しみじみ思うところです。

チェックアウト前のひとときを部屋で過ごします。

ドリップコーヒーを淹れて、冷蔵庫に入っていた「DARI K」のチョコレートと合わせます。庭に降り注ぐ朝の柔らかな光に水のせせらぎ。このホテルの魅力を改めて感じる瞬間でした。このホテルを出たら賑やかな大阪に向かいます。

日本を強く感じさせる空間。現代的な家に住み、畳の温もりからも遠ざかってしまった私にとって、それはむしろ極めて非日常に近いものです。古典的な日本旅館に対して、ある種の苦手意識があるのは、このあまりにも「日本的な非日常」がどことなく自分から遠いもののように思えて、なんだか不在感を感じてしまうからなのかもしれません。しかし今回の滞在で発見したのは、その非日常にモダンな設備やあたたかなサービスが加わることで、想像以上に安らぎが醸成されるということでした。

非日常的な空間の中に見つけた、我々が忘れてしまっているかもしれない日常的な安らぎ。モダンなラグジュアリーホテルのような華やかさはここにはないけれど、それとはまた違う次元で存在するラグジュアリーに触れられることは得がたい体験と言えるかもしれません。ここを発つときには、再びここに足を運び、また、おかえりなさいませ、と出迎えられたいという素朴で強い気持ちが芽生えていました。

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