ペンケース〜ときにはホテルとは関係ない話を

私の自宅の書斎のデスクの中には、ある古びたペンケースが入っています。全体的にやや黒ずんでしまっていて、お世辞にも綺麗とはいえないけれど、いまだに中にペンや鉛筆や消しゴムがあり、立派に役目を果たしています。

そういえば、この筆箱とも随分と長い付き合いになるな…ふと頭の中で独り言を呟きます。そんなことを思った直接のきっかけは、ネットニュースで、ある大学生が小学校の頃から同じ筆箱を使っているという話題を目にしたこと。そして、なんとなく、私はこの筆箱にまつわる雑駁な思い出を心に浮かべてみたのでした。

それは小学校3年生の誕生日のことでした。そのとき私が欲しがっていたものをもう思い出すことはできませんが、母がプレゼントの箱を私に渡してくれたときに、これは想定しているものと違うという確信を持ったことだけは覚えています。実際に包み紙を開けてみると、中に入っていたのは、Burberrysという見慣れない文字(ちなみに2000年から今のブランド名のBURBERRYになりましたね)の彫られた金具が付いたかなり渋いペンケースだったのです。

子どもの心としては、正直なところ、落胆を隠せなかったのです。どうして誕生日プレゼントが、こんなペンケースなのか…後から母に聞いてみたら、良いものを長く使って欲しい、という意図があったようです。その母の期待に応えたと言えるのかどうかはわかりませんが、結局のところ、このペンケースはそれから20年以上に渡って、学校や職場へと私と行動を共にして、いまもデスクの中でその余生を送っています。

はじめて筆箱を学校に持っていく日。

私は若干の憂鬱な気持ちを抱えながら、それ以前に使っていた筆箱から、筆記用具を新しいBurberrysのペンケースへと移しました。周りの子どもたちは、じつに子ども的な筆箱を持ってきていました。そうしたなかで、何故か私だけが、あまりにも子供っぽさからかけ離れたペンケースを持っていく羽目になったのでした。クラスメートの反応は、あいつは風変わりな筆箱を持ってきている、という程度だったように思います…このときはまだ。

それから4年生、5年生と進級していく中で、私も小さな成長を重ねました。国語辞典を開くことが前よりも楽しくなったり、野菜の味を少しずつわかるようになったり、世の中にはたくさんの「エラい」ひとがいるということを知ったり…(これは多分に威張っていた担任の先生が、教頭先生の前では、えらく小さな態度を取っていたことから学んだ気がします)

特にこれといった定額制のおこづかいがなかった私は、特にペンケースを変える必然性もなかったので、そのまま6年生、そして中学校へとペンケースを変えることのないままに進学することになりました。それは学生時代の私にとって、そしてこのペンケースにとっても、ある意味で最も穏やかな時代だったと言えるかもしれません。

事件はある日突然起こったのです。

おそらく中学生くらいにはありがちなことかもしれませんが、クラスの中で多少の目立つ人たちが寄せ集まって派閥を作るようになったのでした。またその派閥からこぼれ落ちた人たちは、また寄せ集まって、緩くつながって、ある種の居場所を作るようになっていきます。しかし私はというと、どういうわけか、そうした居場所を作るのに失敗してしまったのでした。要因を色々と考えてみることもできますが、おそらく、たぶん、きっと、クラスの人たちは「なんとなく」私と距離を取った。そして「なんとなく」悪口や陰口を言うようになったのですね。

おそらく、あらゆる世界で、この「なんとなく」という言葉にならない緩い排除の感覚が、人の心を傷つけているような気がしてなりません。

ある日のこと、ファッションのことを知るようになったあるクラスの女子が、私のペンケースがどうやら「バーバリー」というブランドのものであるらしいことを発見したのです。そして、中学生的な陰湿さで、手紙を他の生徒に回覧していました(…なぜ手紙を配っていたことが分かるのかというと、私にまで手紙が回ってきたからです…じつに中学生的なミステイクですよね)。なんか地味なくせに、立派なペンケースを持ってるなんて生意気だ。要約するとそういう内容の手紙でした。

そのとき以来、単なる悪口は、段々と物理的な攻撃の段階へと入っていきました。ペンケースはその格好の餌食になりました。あるときには下駄箱の裏に投げ落とされていたり、またあるときには、校舎のゴミ捨て場であやうく収集車に載せられそうになっていたり…隠されるたびに回収して、私はペンケースを綺麗に拭いて使うことにしていました。もうこうなってくると、新しいものには是が非でも買い替えたりしたくない。そう思いました。心もペンケースもなかなかに傷ついてはいたのですが、いじめられる側にも、それなりの尊厳と意地というものがあります。

そうした非常事態が起きていることを親にも誰にも話せなかった私は、中高一貫校のシステム通りに、そのまま同じ学校の高校に進学することになりました。ペンケースも一緒に。

私のペンケースはジッパーで開閉するようになっているのですが、暴行を加えられたペンケースのジッパーの金具は、いつのまにか、どこかになくなってしまったのでした。親には、経年劣化していたのをうっかりどこかに落としてしまった、と伝えたように思います。新しいものを買ったら?と言われたりもしましたが、いや、良いものだから長く使いたい、と。実際には意地もあったのですが、そういう気持ちもこの頃には芽生えていました。

そして、壊されたジッパーの金具の代わりに、妹がディズニーランドに遊びに行った帰りにおみやげに買ってきた、無地のミッキーマウスの形をしたキーホルダーをそこに結えつけることにしました。けっこう不恰好になってしまったけれど、これで開閉がだいぶ楽になりました。Burberrysからしてみたら、こんなポップな姿にされるとは思いもよらなかったかもしれませんが、これはこれで、悪くないかな、と個人的には思っていたのです。

ただしこのポップな姿の寿命もさほど長いものではありませんでした。

物理的な攻撃の対象が私自身に移っていたせいもあって、私自身は校舎の裏やトイレなどでひどい目にあった日なども多々ありましたが、ペンケースは比較的平穏な日々を送っていました。しかしポップな姿になった筆箱に気づいたある男子生徒が、ふざけて、クラス全員の前で「実験」を行いました。ミッキーマウスの耳が取れたら、どのような形になるのか。有り余る力を小さなキーホルダーに集中させて…

ひとつ取れたら…ぶちっ、雪だるま。ふたつ取れたら…ぶちっ、ただの玉。

哀れミッキーマウス。耳を剥がれてしまって、その耳はどこかに放り投げられてしまったのでした。ついでに、ペンケースの中に入っていた、私の祖母からもらった万年筆もぐにゃっと曲げられて使い物にならない状態になって返ってきました。呆気に取られてしまってなんの反応もできないままに家に帰りました。

風呂に入りながら、なぜか言葉なく、ただ涙が溢れて止まりませんでした。人はあまりにも悔しい気持ちに苛まれたときには、その悔しさを語る言葉を失くしてしまうのかな、と思いました。人間は誰もがみんなどこか弱いものなんだ、と私は思います。そしてその弱さを自由に語れる言葉があれば、もう少し生きることが楽だろうに、とよく思います。

学校には結局最後までうまく溶け込めず、なんだかひとりで過ごす時間をたくさん持ちました。鉄道に乗って、飛行機に乗って、あちらこちらの景色を見て…そしてホテルに泊まる。思い返せば、こういう日常からの逃避ということが、いまのホテルステイの原点にあるような気もします。

それから高校を卒業して、大学に進学。筆箱との付き合いも10年を超えることになりました。

大学というところは、少なくとも私にとっては、これまでのような陰湿さと閉鎖性はありませんでした。ここで私は解放されて、ようやく自分のことにもっと向き合えるようになったのでした。10年を超える歳月を共にした筆箱には愛着が生まれ、周囲の学生たちからも「ずいぶん渋いペンケースだね」と褒められたりしました。私はなんだか誇り高い気持ちになりました。

大学の卒業のときも、大学院への進学のときも、僅かではあるけれど海外で暮らそうと思って北欧に渡った時も…このペンケースは私と共にありました。戦友というと大袈裟かもしれませんが、大切に使っているものには、単なる愛着を超えた、なにかしらの感覚が生まれるように思います。

ペンケースを使い続けて20年。

そろそろ休ませてあげるときがきた。

ノートパソコンを持ち歩くようになって、ほとんど手書きの文章を書かなくなった私は、ペンケースをデスクにしまうことにしました。そして筆記用具を中にいれておいて、いつでも使いたいときに取り出せるようにしました。こうしていまもペンケースは私のデスクの中で第二の人生を送っています。

最近そのペンケースの横には素敵な隣人が現れたのでした。

それは綺麗な便箋に入った手紙。

持ち主には大切なパートナーが出来たらしい…ペンケースはそう思っているかもしれません。何を隠そう、彼女も、私がこういう話をする前に、良いものを長く大事に使いたいということをなにげない会話の中で言っていたのでした。

私のデスクの中の過去と現在を象徴するふたつの大切なもの。それらを眺めていて思うことは、必ずしも、悪いことばかりが続くわけではないという直感です。ときどき、そのことを忘れそうになるけれど、きっとそうに違いないと、いまもある種の確信をもって思っているのです。

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